憲法手帳雑記 2005年5月   
◆5月21日(土)
 イギリス、セラフィールドの核処理施設重大事故というのを今日知った。事故の発生は4月18日というから一カ月も報道管制がしかれていたのだろう。で、チェルノブイリの原発の中に燃料としてあったと思われるウラニウムの量は360キログラム。大気中に放出されたと見られるウラニウムの量は200キログラム。今回、漏洩したウラニウムは約200,000キログラムとさらに、200キログラムのプルトニウム。83立方Mの溶液が漏洩したという。海に面しているセラフィールド、どうなるのだろう。
 今日、新たな闘士も加わっての行動。戻ってきた3人としばらく雑談。とりあえず、MLつくろう!となった。そのうち2人が帰って、最後に残ったMさんと玄関で長い談義になった。いつも限られた時間でのちょっとした会話しかできないでいたが、今日は自分の話も少し聞いてもらえて、ずいぶんすっきりした。SGさんにもFさんにもSKさん、HJさん夫妻にもDVD買ってもらっちゃった。
 久しぶりにKさんからメール。教科書の件で陳情をと催促。ウン、この流れ、いいな。 
◆5月20日(金)
 久しぶりにO社長に菊がずいぶん育ったから取りにおいでと呼ばれた。チラシの印刷を中断して、自転車ですっとんでいった。音楽夜話いかれなくてごめんよと言われて、DVDもっていけば良かったと思った。まったく、菊をいただくことしか頭になかった。地域で、私が何を掲げようと、まるごと支持してくれているような方。思えば25年のおつきあいになる。
◆5月19日(木)
 先輩の女性たちと、ある裁判闘争に関わっての事務作業。こういう時間の中で、ものの見方、考え方が養われる(なあんて50代の者がいまさらのように心底そんなふうに思えるところがいいのだ)。夜、機関会議。勇気づけられたり、へこんだり、自分の中で精神的に起伏が激しい最近である。起伏が激しくなるのは、直面しているさまざまな運動の状況の変化があるからであり、日々生成されるエネルギーには自分でも呆れているが、一方でのれんに腕押し、豆腐に鎹、糠に釘(おもしろいな)的な周囲の反応にがっくりきている。その繰り返し。 
◆5月18日(水)
 サイトの検索をしていると、時に、ギョッとするような不愉快な掲示板に迷い込むことがある。
どうもインターネットというもの、その向こうの人の海を感じるのはいいが、溺れる可能性はまだまだ高い。こんなものが世論を形成するひとつの力になっているとも思えぬが、惑わされる人々も少なからずいるのだろう。社会のさまざまな事件事故と同様に気持ちを暗くさせられる。
◆5月17日(火)
 日本の初期社会主義とキリスト教との接点についての小論文書きおわる。ゲラになってつくづく、明治30年代までにできあがってしまった、この国の精神の腐敗、空洞化状態を思った。
結局、分岐点は教育勅語なんだな。天皇制イデオロギーがドイツにまなんださまざまな弾圧法とともに民衆に刷り込まれていくのは、明治30年代以降(1900年代)となろう。すると、教育勅語以前の民権運動のあたりでの日本人の思潮をもう少していねいに掘り起こす必要がありそうだ。明治期のルポライター横山源之助などの著作、少し読み進める。
◆5月16日(月)
 再来週の土日の会議の時、韓国民主労働党を迎えてのシンポジウムがある。その始まりの時に何か歌をということなんだが、韓国の労働運動のなかで歌われている勇ましいうたをやるべきか、(そのとき、会場がそれにちゃんと呼応できるか)日本のどのあたりの歌をうたうか、悩まなくてはならない。この悩まなくてはならないという事態は結構あって、時間をかけていられないのも良いことに、ぎりぎりになって悩むことが多い。でも今回は徳島の仲間が選曲を待っていてくれることもあり、憲法手帳に載せた市野宗彦さんの「決意」を韓国語、ドイツ語、英語、中国語で訳したものを準備することにしよう、と結構パッパと決めた。関係者のみなさん、どうぞよろしくね。
◆5月15日(日)
 朝から水道橋へ。都本部の大会。世田谷の大久保青志氏の挨拶あり。杉並福士敬子氏はメッセージだが、福士の勝手連はいよいよ活発。メールも毎日のように入ってくる。A君の名前を見て四年前の石原都知事リコール運動を思い出した。あれはあれでがんばったよね!
 「日の丸・君が代NO!通信」、大阪の「『日の丸・君が代による人権侵害』市民オンブズパーソン」からそれぞれニュース郵送される。本当にごくろうさま。
◆5月14日(土)
 庭の果樹は毎年、ハッと思い出して梢を見上げると、た〜くさんの花をつけている。花が落ち、がくだけになって気がつくことも多い。四女がバイクの事故で頭を4針ほどホチキスで止めている状態ということもあって、昼間家に居るものだから、私も家で仕事をしている。何の世話をするでもないのだけど…。それで梅の実がすっかり大きくなってきていること、柿もミカンも今年は大収穫が期待できそうなことに気がついた。真っ白なみかんの花から、あの大きなみかんを想像するのは難しい。大丈夫なのかしら、こんなにたくさん花が咲いちゃって。梅の実も思わずもぎたくなったが、これは6月の第二週までは樹上にと決めている。去年作った梅干しはまだ残っているし。ナデシコやコスモスも芽が出始めた。もっとも最大の関心事は小松菜。今年はプランターに紗をかけて育てている。鳥や虫に食べられないように。けちんぼでごめんねと言ったところです。
◆5月13日(金)
 報道…「朝日」「毎日」「東京」ともに、昨日の藤田公判を報じていたが、弁護団がTBSの報道ビデオを証拠申請し、裁判所が採用したことについてTBSが抗議をしたことが主な内容。TBSの主張は「刑事裁判の証拠として映像が利用されることは報道の自由の重大な障害につながりかねない」という。このビデオは昨日記した式の記録ではなく、式前のまさに藤田さんが校長らに式場から出された部分。テレビで放映されたものだ。これを個人が自宅で録画したものである。報道の趣旨は国歌斉唱をめぐる都教委の方針やそれに反発する教員たちを取り上げた特集である。それが弁護側の証拠とされることについて、TBSからクレームがつくというのは、何らかの力が働いたということかしら。報道は中立でありたいという。しかし、藤田の件での真実と報道のいう中立が描き出したものと重なっているのだから仕方ないじゃないか。各紙ともTBSが裁判所と弁護団に抗議文を送ったなんてことが結語になっている。昨日の傍聴には、また新しい顔ぶれも増え、この裁判への関心が相当に広範囲に広がっていることが窺えた。何度かお名前を知らずまま顔見知りになっていて、「先生のことはよく拝見してますよ」なんて言われる。う〜ん、先生ではないんだけど。残念ッ!Mさんの会の時歌ってましたね!などとおっしゃる方も。恥をかき捨てぬよう、気をつけようと思った。
 昨夜、ある集会で使ったビデオを探していて、15年前の音楽運動の仲間との合宿の記録をちょっとかけた。記憶ないなあ、いつのだ?いつのだ?と結局ずっと見ていた。いきなり自分が出てその頃作った歌を発表している。そのうちカメラがターンして娘たちを写し出している。まだ保育園時代の子どもたちが一緒に歌っている。かわいい。ちょっと来てごらんと娘たちを呼ぶ。そういえば、「〜人間を大切にすれば赤字を出して当たり前だ」という花森安治の「鉄道100年祭」の時の詩の歌を歌っていたころ、子どもたちは「鼻血」だと勘違い、怖いうただと思っていたんだって。涙が出るほど笑った。広島の森上さん、長野の大沢さん、北海道の大貫さん…懐かしい人たち。
最後まで見てしまって、抱えている原稿は一行も書けなかった。裁判が終わったら書きますと約束していたんだけど、書き始めたとも言えず、今日はかなり真剣。
◆5月12日(木)
 裁判…藤田先生の第2回公判。Hさんに今回は入りなさいと勧められたけど、ぎりぎりに駆けつけてくるだろう板橋の仲間たちが気になり、外組になる。今回も傍聴券が足りなかった。でも事務局以外に4〜5人分か。報告集会に引き続き来てくださる。検察側の証拠として、学校側が撮った式のビデオ、弁護団側からはTBSの報道されたビデオ。式のビデオは百聞は一見に…というが、実に式が整然ととり行われたことを示している。これが3分?遅れたということらしい。しかし、当日は報道などでもごったがえしていて、生徒の入場が遅れたという。従って、式はなんら混乱なく粛々と行われた。ただ一点「国歌斉唱」の時、生徒たちが、4〜5人は立ったままだったが、ほとんどが座った。そのとき、校長、教頭、来賓の土屋都議がわめいている。このことこそ、式中、無様にして、卒業式を傷つけたというべきだろう。「立って歌って!」「本当に思想信条のある者以外は立って」。この言葉で生徒たちは一瞬ざわめいている。なんということをいうのだろう。しかも、映像の奥の方で、校長らだけが歌う「君が代」の最中、土屋都議が携帯を使っているのが映し出されていた。もしもしとかやっているんじゃないのよ。写真をとっているのです。何なのこれ! 弁護側は、この検察の証拠ビデオの提出に対して、逆に藤田先生の前段のチラシを渡したことと、式は無関係であることがわかるというので認めたという。なぜ、検察はこんなビデオを出してきたか。つまり、生徒のほとんどが着席したことを問題にしているとしか思えない。その思想を裁こうとしているということだ。この喧噪状態となった何分間かこそを、「混乱」といい、これをこそ事件化したのだということがあらためてよくわかる。なぜなら、藤田氏はこのときすでにビラを渡し終わり、教頭らに追い出されて帰途にあったのだから。
◆5月11日(水)
 寒いくらい。冬に活躍したハロゲンヒーターをまたつけている。今日は時間を切られた仕事の忙しさに追われている。でもどれも終わりはしない。夕方になって少々苛々してくる。夕方のニュースを見る。「戦争の民営化」のタイトルが目に飛び込む。イラクでの斉藤さんという人の報道。民間戦争企業。自己責任論よいずこ。やたら斉藤さんの軍人としての経験、人柄、その忠誠心などを称えている。
◆5月10日(火)
 姪っ子…池袋を通ると必ず覗いてみるのが無印良品の隣のJRのキヨスク。池袋の西口の喫茶店での会議の時は、終わるとまっしぐらにここを覗く。やっと会えた。父親を失って半年。元気に大学に通い、このキヨスクでアルバイトをしている。レジに商品も持たずに行って、いきなり「元気にしてた?」と声をかけたものだから「あ…」と言ったきり言葉を失っている。そのうち顔中の毛細血管がよみがえったみたいに真っ赤になって固まっている。自分にとって叔母とか親戚ってどんな存在だったかな。
◆5月9日(月)
 抗議…今朝、区役所庁舎前でビラまき。区教委指導室長に対するもの。7人で。入り口がいくつもあるから大変なんだけど、ほとんどの職員はちゃんと受け取ってくれる。庁舎内の職員だって区教委が何やっているかご存知ない。役所の中からも声を上げて欲しい。それから病院に行く。仲間のKさんも同じような指の症状があるとのことで、親身に話しを聞いてくれる。同じように片手の中指がパンパンに腫れ上がっている。曲げると痛い。開くと痛い。今日はバニ指だろうと診断された。MRIまで撮ったが頸椎が曲がって神経を圧迫しているのはむしろ左側だという所見。わけがわからん。痛み止めの処方箋もらって帰る。Kさんに聞いてもらった段階でもうどうでもよくなったような気もして。ところでKさんは障害者自立支援法のことで一生懸命になっている。明日の衆議院での厚生労働委員会から4日連続で国会ハンスト第一波が始まる。彼女も「命をかけて」この行動に参加する一人だ。ちなみに中野区ではすべての障害者団体が支援法反対でまとまって区議会に要請をしたそうだ。
◆5月8日(日)
 災難…昨夜4女、映画学校の帰り、バイクで事故に遭った。頭部の裂傷。膝も少し。彼女とビデオ編集の打ち合わせを夜10時ごろね、と約束していた。私は年表などを書き直して写真を揃えて早めに帰宅して待っていた。12時を過ぎて連絡が入る。娘の携帯でかけてきたのは娘の彼氏。…自分といてこんな目に遭わせてすみません…。声を失う。聞けば、道路端に停車していた車が急に発進しざま、Uターンしようとし、避けきれずバイク横転、彼はタイヤの下に腕が入りながらなんともなく唇の裂傷だけとのこと。応急処置が終わって、現場検証をすませてからタクシーで帰宅した2人は玄関でしょげ返っていた。バイクの2人乗りは危険だが、何もなくて横転したわけじゃない。この日、彼女は、学校で自分の作品のための機材搬入などがあり、どんどん時間が経っていって、母との約束が気になったのだろう。それで彼に送ってもらったのだろう。髪を無惨に切られて、ネットの包帯を頭に乗せ、ジャケットも血で汚れた娘の姿…。今日になって、その車の運転者からとりあえず、お見舞いの電話あり。100%、自分の落ち度と認めているとのこと。 
◆5月7日(土)
 5500人…ものすごい人出だった。全国から集まってくるのは若い人が多い。なんて言ったって体力がないとね。今日ばかりは私もシールを届けたあとは会場関係の任務からは外れさせてもらっていた。東京教組のことと、藤田さんのことだけ。大阪の方が藤田さんの署名を集めて持って来てくれたり。会場で会った板橋の仲間とは教科書検定の件での勉強会の打ち合わせをする。「自由の風」の丸浜さんと少し話しができる。琉球センターの太田武二さんや島袋陽子さんとも久しぶりに話せた。いつも会う神奈川の方、都議選のことで情報交換。やっと最後に名乗りあって。そうそう、クルド人支援の岡本さんの奥さんとも時間をとって話せた。…家にじっとしてた方が支援になるの、だって、こういうところくると交通費だって、なんだってお金かかりますものね、でも、やっぱり、来て、訴えたいから…、そして…体だけは気をつけましょうね。ほんとに自分が倒れたら、支援できないですもんね…、などなど。そうだね、ほんとうにみんなぎりぎりのところで支え合っているんだよね、と思う。板橋の仲間とはぐれて、ちょっと木陰にいたら、藤田さんやってくる。…こんなところに来て歌うたっていて仕事になるのか、どうやって食っているのか…はまだ許せるが、…なんで貧乏人と結婚したんだ、とか、…日に日にやつれて行くではないかとか、エエィ!ほっといてちょうだい!というような会話。腕まくりして、そこここにたむろする参加者に一枚一枚渡すごとに指を唇に当てている姿は、テスト用紙を配る教師の姿を彷彿とさせる。この64歳の、足を痛めている元社会科教員の方を、私たちはトップランナーとしているのだ、と改めて思った。
◆5月6日(金)
 荷物…明日の代々木公園での教育基本法改悪反対全国集会の準備の端っこを担っている。というか、いろいろ資金を作らねばならないので、実行委員会で当日紙袋を売りたいという。あちこちでチラシを受け取り、グッズも買って欲しい、それらを持ち帰る手提げ袋にしたいんだという。手提げ袋に集会名を入れられるかというので、袋になる前の状態でなければ印刷機にかからないよ、シールにしたら?と提案。ンでまあ、いろいろやりとりがあって、つまりはいろいろな作業があって、明日はそれを朝一番で持っていかねばならない。東京教組のテントでギター持って来てというのもあって、両手がふさがる、雨も降ってくる、頼みの夫はJR西日本の件での取材で出張、どうしようと思案に暮れる夜です。
◆5月5日(木)
 祝福…歌詞をど忘れしてしまったり、話が前後してしまったり、いろいろあるけど、とても気持ちのよいお客さまたちのおかげで、なんとかイメージした「夜話」を終えることができました。連休のど真ん中じゃ、もう予定入ってると近所の方に言われたりで、お客様は予想どおりの人数となりました。その空間を今日のお客さんは上手に処して下さったのです。ある方はドリンクバーのマスターを買って出てくれて、ある方は準備を手伝ってくれて…。とてもありがたかったです。岸田さんがものすごい力を示してくれました。実に魅力ある先生です。こんなに深く知り合えたのに、異動させられたことが実に悔しい気分です。実際の話、それなりに共通の精神構造をもってなおかつ音楽に正面から向き合ってくれる人ってそんなにはいませんから、私にとっては得難い友人になったわけです。今日のことが彼女にとっても、私にとってもまた、新たな道を開く力になったと思えるのです。ともかく、今の気分こそ、「アメージンググレイス」といえましょう。思いがけなく美しい花束をいただいたのでした。
◆5月4日(水)
 明日の準備などで落ち着きなく一日終わる。
◆5月3日(火)
 夜話の伴奏を娘がやってくれる。次女と三女。思い返してみれば、娘たちが小さい頃からいろいろな音楽の場に連れ出して、一時はAGFE(あぐふぇ)などというサークルを作ったりした。
親子のサークル。つまり、子育てと趣味を合理化したんだ。これは正解だったなあ。共有できる世界があるのはありがたいなと今になってつくづく思う。世の中に星の数以上あるだろう歌の中で、娘たちが「おかあさんの曲」と言って尊重してくれるのはとても嬉しい。もっとも、「ここのコード教えて」「簡単なんだよ、小指を一フレづつずらしてごらん」「おお、出来た、おかあさん、弾かなくていいよ。歌に専念しな」なあんて言われちゃった。ちなみにAGFEはよくあるコード進行をそのままいただいて命名した。
 今日、午後から憲法集会。
◆5月2日(月)
 長女、昇給を楽しみにしていたんだが、これぐらいと言われていた額に満たなかったので、憤慨している。なら、最初からそんなこと言わなきゃいいのに、それに基本給じゃなくて能力給の記載だったから「超、気分悪い!」ということらしい。それ、超、わかるよ。
 次女はリラクセーションのお店で無事1年勤めた。指名が結構ある。何ヶ月か一度技術の検定みたいなことがあって、筆記と技術ときびしいことだ。チェーン店をたくさんもつこの会社は働く人は将棋の駒みたいなもの。彼女も同じ駅の別のビルにある支店に急に配置換えになった。会社が葉書をくれて、自分のお客さんに案内を書いている。自分のお客さんたって、自分のもんじゃないってことはよく分かっているだけに「なんでこんなことまで」ってところらしい。
 三女は大学も最後の年度になって、マイペースでよくやっているなといつも感心しているけど、何日か前、冷蔵庫に得体の知れない器と食品らしきものあり。冷蔵庫のドアのメモに「ツナ、よかったらどうぞ」ってなことが書いてあって、いつ作ったんだ?と思ったらバイト先でレシピを失敗して引き取らされたんだと。しかも1000円も払わされたという。間違った調味料を入れたおまえが悪いのね。でも食べられるのかねえ。おいしいんだそうだよ、ご本人が言ってる、とは姉の言。
 四女は映画づくりへの夢まだ冷めず、学校も続いているが、ここ数日は私の夜話のバックの映像づくりに夢中になってくれている。この歌詞に合った写真を取り込んでちょうだい…。それだけで作業にとりかかるこの子は案外大物かも。完成するか否かは保証の限りではないが。
◆5月1日(日)
 メーデー。風強し。「〜乙女の髪に花薫り〜」という風情はなく、今ふうの知恵か着ぐるみもどきの参加も。うた、響かず。ほんとにいろんなものをなくしてきちゃったんだなあ。いつも都高教の集まっている故郷の森のところに車を置けていたのに、昨年から霞門あたりになっている。それでも、顔見知りの教員の方たちに会うとなんだか嬉しいものだ。藤田さんが足を引きながら歩いてくる。大丈夫なんだろうか。板橋の仲間たち、民間のそれぞれの部隊に居て、まあ、今日はバラバラ。
 一度帰宅してから、岸田さんのお宅におじゃまして、夜話の打ち合わせをする。これみよがしでない豪邸でしたぞ。彼女が通っていた板橋の学校までの道のりを考えたらとんでもない距離だった。あらためて遠隔地への異動のひどさを思った。彼女には「なんで遠いのにうちに来るのよお」となじられたけど、要するにこの距離を知りたかったんだ。それに彼女はメーデー会場が明治公園だから一緒に帰るということにもならなかったし。
2005年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月