憲法手帳雑記 2005年6月   
◆6月30日(木)
松本清張『小説東京帝国大学』を読む。
◆6月29日(水)
安斎育郎、李修京編『クラルテ運動と「種まく人」』再読す。
◆6月28日(火)
童門冬二『伊藤博文』(全一冊/小説)を読む。古書店に中川柿園『日々の断想』注文す。
◆6月27日(月)
幸徳秋水『獄中から弁護士に送った手紙』を読む。古書店に『美夜古文化』合本注文す。
◆6月26日(日)
松本健一『中里介山』を読了。
◆6月25日(土)
木下尚江『田中正造の生涯』を読了。(つまみぐい的に板東眞砂子『善魂宿』) 
◆6月24日(金)
 空梅雨か、このところ晴天が続いている。朝は降っても午後からはカラリと晴れたりする。まことに暑い。超特急の仕事。と言っても、版下をつくって、印刷会社と運送屋さんに大特急、大特急と二度ほど言っただけですんでしまった。外回りから戻ると、お客さんからお礼の電話。
 夕方になり、アルバイトに出勤する4女が門からガラス戸からドタバタあわただしく事務所に入ってくる。板の間に膝をついて中のガラス戸をあけるや、2000円貸してください!ときた。何で?とわざとのんびり聞く。知ってて聞く。彼女もスラスラ答える。ついでに4分のバスに乗る、などと言う。早くしろといわんばかりだ。悔しいけど、こちらの方がいささか慌てて財布を取り出す。家族が多いのはいいが、全員が賃金支払日前ともなると大変、である。
◆6月23日(木)
 2001年7月に東京地裁が一審で国の賠償を認める判決がでた中国人の劉連さんの裁判は、中国から強制連行され敗戦を知らずに13年間も北海道の山中で逃亡生活を送ったという。一審では強制連行の事実を認め、国に2000万円の賠償を求めた。 しかし「中国では87年に国家賠償が規定される以前は『国家無答責の法理』があり、中国の国家公務員の違法行為で日本人が被害を受けても中国に賠償請求できず、相互保証があったとは言えない」と請求を退けた。公務員の不作為による違法行為(厚生省職員が保護する義務を負っていたにもかかわらず怠った)との認定は一審を支持した形なのだろうけど、これを中国との相互保障があったとは言えないとして、帳消しにしている。「国家無答責の法理」をもつ中国とはいえ、中国側に日本人が被害を受けた例は如何に?同等同質の被害の実例や如何? 国家的犯罪である強制連行による苦痛、家族の心痛をどのように贖えるのか。日本の裁判は本当におかしい。情けない。
◆6月22日(水)
 『安曇野』を読み直す。 
◆6月21日(火)
 藤田さんの裁判第4回の公判。今回は朝から終わるまで法廷の中にいたので、このばかばかしい刑事裁判をつぶさに観察することができた。今日は検察側証拠であるICレコーダーを提出した都教委・鯨岡証人に対する弁護側の尋問の続きからはじまった。都教委で点を稼いだつもりだろうが、この証人、証言内容と事実の齟齬に気がついているのかいないのか、あくまでも最後までのらりくらりは変わらない。午後は、このデーターを解析した警察官が登場。解析表もまた鯨岡他、事情聴取や、すでに編集されたビデオなどの記録からきわめて恣意的にねつ造したことがバレバレ。唯一の証拠がこのていたらくで、どうやって藤田さんに罪をかぶせようというのだ。弁護団の尋問も最後の頃、弁護士の質問「鯨岡以外に板橋高校の卒業式を見聞した人の話は聞きましたか」に証人が「今は供述したくありません」と述べたところあり。裁判長が「何故」と尋ねても、哀れにも固まってしまっている。それで都議会議員・土屋たかゆきの名前が出ることになった。土屋の事情聴取でのあの場で「『何をやっているんだ、しっかりしなくては駄目じゃないか、あの男を排除しろ』と指示しました」という、そんな言葉もこの解析表にないのは不自然ではないかというものである。詳しくは藤田先生を応援する会のHP、さらに「パワー・トゥ・ザ・ピープル」に進んで読んでください。
◆6月20日(月)
 一カ月のなんと早いこと…。いや、もう半年も終わってしまう。時の長さを感じる度合いが子どもの頃の何十分の1になっているわけだから仕方がないのでしょう。 
◆6月19日(日)
 総勢17人での「板橋高校藤田先生の日の丸・君が代刑事弾圧裁判支援署名」集め。これは凄かった。いつも3〜4人で駅頭宣伝していても、ビラの受け取りはたった100枚もはけず、落ち込むなといいきかせるばかりでマイクを握っているのだが、ちゃんと横断幕よろしく、集会の一文字を再利用してひろげ、慣れた手つきでHZさんが幟を立ててくれ、HZさんのお連れ合いはマジックで署名板にぶらさげる紙に書いてくれる。「板橋高校卒業式 日の丸・君が代 刑事弾圧を許すな」。何枚も書いてくれる。マイクを路上に置くと蒲田で鍛えたアジテーター、わが代表のFさんが早速話し始めてくださる。署名板をもった方々の前に通行人が立ちどまる。右でも、左でも。見ると、チラシも良く受け取ってもらえている。やっぱりやってよかった。E子さん、S子さん、K子さん、MI子さん、MA子さん、2時からのビラまきでタイムオーバーのMT子さんはそのまま改札に向かった。フッチーさん、TKさん、KTさん、RYさん、MSさん、お名前聞きそびれたいつもお顔を見る方、わが娘。ほんとうにお疲れさまでした。
 午前中は、千川中の田畑さんの集会に。弁護士が悔しそうに何度も唇をゆがめながらの報告集会。都教委による再雇用拒否をたたかい、最高裁に上告するも先月5月13日棄却・不受理の決定がなされた。「田畑教諭が校長・教育委員会に嫌悪されたのなら、それは『ものを言う教師』だったからである。裁判官が教育に無知なる故のお粗末な判決か、時流に迎合する故が、ともあれ、真実・正義を尊ぶ一人の誠実な教師を、奈落の底に突き落とした裁判所の罪は永久に消えることはない。」と抗議声明は記す。
 う〜ん、今日はさすがに疲れました。飲み屋に旗竿を忘れてきちゃいました。MI子さんから電話「やだ、アハハハって笑ってないで、どうするのよ〜」「お店の人に言っておいて〜、明日取りに行くからって」「そうかそうか」って次第。あれだけ呑んで、こういう事態にはピッと冷静になるんだな、MI子さんって。私は呑んでもいないのに、ぶったるんでる。
◆6月18日(土)
 ほとんど病みつきになったような最近の土・日のスケジュール。まるで恋人とのデートのようにいそいそと袋にフライヤーをつめこみ、いくつもの袋につめこみ、夫のバイクに積んでもらい、私は一足先に電車で。仲間たちの顔を思い浮かべ、集合場所に向かう。知らない人が今日は三人も加わる予定。ようこさんとは目的地で落ち合う予定だった。およそのルートを決めながら、そこの景色を思い浮かべる。石頭さんとフッチー(!?)さんは最大限の裁量権を付与したルートにする。なあんちゃって、これ楽しいビラまきの話。もっとも楽しいとばかりも言えない。今日は事故もあった。ようこさんが自転車で向かう途中、車にぶつけられ、あて逃げされた。足や腕に擦過傷とのこと。ごくろうさま。月曜日にお見舞いに行くからね。
Sさんご夫妻が改札から現れたとき、なんて嬉しかったろう。長かった半年。いよいよ明日が最後。ビラまきの効果もさることながら、培われた人間関係に乾杯したいもの。
◆6月17日(金)
 くだんの雑誌、表紙と本文を別々の大印刷会社に頼んでいる。もう7年も8年も同じところでやってもらっているから、電話一本でことが運ぶのは確かにありがたい。今日は表紙を頼んでいる会社の営業氏と少し話す。うちのような不安定この上ない顧客は他にもたくさんあるらしく、同業者倒産の話は一度や二度ではないが、この場合は深刻だ。A社の売掛金がこげつく気配になれば、B社は担当営業をせっつくだろう。だいたい、営業管理部というのがどこの会社にもあるだろう。A社と長い現場のつきあいをしてきたB社の営業氏は、なんとか早く支払って欲しいが、A社の実情がわかるだけに、また次の仕事が出れば遅れ遅れでも支払ってくれるだろうと、結果的に売掛金を増やしてしまう。ところが本当のところ、A社の苦しさは自転車操業の域を超えて、集金すれば即右から左に消え、なかなか払えない。で、とうとう不渡りを出す。
問題は、損害を被ったB社だ。よくよく情理を尽くして、説明され、商売だから棚上げすることもあるだろう。でも、もし、営業氏に対して「おまえの客だろう。こうなるまでどうして放っておいた」と責任をとらせるようなことがあったらどうか。営業氏は、一度退職したことにして、そのこげつきを自らの退職金でクリアして、取引を続けていた。A社は結構やり手だった。B社の営業氏の好意を踏みにじるように解散し、弁護士を通じて通知だけが来た、という。泣くに泣けない、という。上に呼ばれていると。なんらかの処分があるんでしょう、と。結局、成果主義の行き着くところの一つの形態ではあろう。この熟練の営業氏の苦悩は、話ながら、汗となって額ににじみでている。ところで、印刷会社の営業氏という人たちも数多く見ているが、ご用聞き営業マンやマニュアル営業マンから、このB社のベテラン営業では天と地ほどの差がある。彼は、技術者でもあり、尊敬すべき人間だ。くやしいけど、うちだけは迷惑かけないようにしようと思うのが精一杯。何の力もないものなあ、わたし。
◆6月16日(木)
 いただきものの鉢植えの花たちがこの雨にうたれて、見るも気の毒な姿になっている。自宅の朝顔は順調につるをのばしている。退職された教員の方が千葉で農業をしている、その方に指南を乞うて、小松菜は順調。
 今日は雑誌の下版。いつもの営業氏、ノンブルのところにここ何ヶ月か決まったところに黒くポツと影が出ています、という。製版でいちいち消してくれているそうだ。それで版下をしみじみ見るが、見えない。ルーペを出してきたが、見えない。困ったものだ。見えないがあるのか、と聞くと僕には見えます、という。ここ何ヶ月か、ということはパソコンを変えてプリンタのドライバを更新してからだろう。写真データを印刷するときもいちいちモードをかえなければならなくなったし、何頁も一度に出力しようとすると勝手に仕事をやめてしまう。便利なものほど、困る。
 急だけど、明日の朝、ビラまきしたいとけいこさんから連絡あり。雨じゃないといいけど。
◆6月15日(水)
  6月のパリの街の石畳に、突如旗が高々と掲げられ、男女八人が異空間を繰り広げる。コントラバス、ギター、アコーディオン、パーカッションは男性。踊り歌う衣装も美しい若い女性ボーカリスト3人。その一人は赤旗を掲げつづける。そして少し年かさの女性はアジテーターだ。
 挨拶代わりの『コミューン万歳』。骨抜きされた歌なんて/何のためにあるの/役に立ちたい/生きるためと自らの歌のテーゼを示す『歌は何のために』。観客を惹きつけるのは『マクドのマック・ストライキ』だ。軽妙なリズムで…マクドの厨房はこんな騒ぎ/おまえの代わりは沢山いるんだ…と働く若い人へのまなざし。だが、ただ皮肉っているのではない。闘おう、団結しよう/組合をつくろう/抵抗しよう…と素晴らしく締めくくる。観客の子どもも女性も手拍子をうつ。
 9・11以降の世の中の激変を歌う『すべてがうまくいっていたのに』の他、『路上で歌う』『バリケードへ!』(ワルシャワ労働歌)『名前を明かさず』『インターナショナル』と次々に歌い踊る。
 ジョリモーム。それはフランスの劇団。1980年に結成以来、ブレヒトやジャック・プレヴェールの作品、パリ・コミューンを題材にした戯曲などを取り組む。一貫して貧困、大衆と連帯をテーマにした芝居を演じ続けてきた。彼らの大事な舞台は街頭である。そしてデモの盛り上げ役でもある。労働者、移民や失業者、路上生活者のそばでジョリモームは彼らのためにつくった歌を歌うのだ。
 パリの街頭で、このような歌が健在だなんて、なんという驚きだろう。『すべてがうまくいっていたのに』では歌のあと素晴らしいアジテーション−それはロシア革命を担った人々から、キューバ人民、南北コリア、アフガン、イラク、すべての自由と抑圧とに果敢に闘った民衆を称えながら、最後は、その数はあまりにも少ないかもしれないが、と結んだ)に石畳の民衆から拍手が沸く。
 最後のインターナショナルはあの「起て飢えたるものよ」ではない。…あの歌を作ったのは我々の詩人の一人ヴージェーヌ・ポチエだが/それから世界は変わっただろうか/飢えている子どもの数は減ったか/あの歌を歌うのをやめてしまっていいのだろうか/この闘いに集えよ/明日は/インターナショナル/我らがもの。この最後の「インターナショナル/我らがもの」のメロディは我々にもおなじみ。その部分をジョリモームは歌わず、石畳の民衆に譲り渡す。照れたように民衆が歌う。そして拍手する人々の中に懐かしい国鉄闘争団の仲間たちの笑い顔がある。
 この演奏はパリ・ムフタール通りにて、「人らしく生きよう−国労冬物語」のパリ上映会に参加するためパリを訪問したビデオプレスが撮影した。
◆6月14日(火)
 夕方、予定がかちあった。携帯になれないわたしとHさん。会えた場合と会えなかった場合を考える。やっぱり会えなかった。戻ってからパソコンのメールを読んで、なんとなく安心する。
◆6月13日(月)
 仲間のふみこさんの娘さんがともこさん。昨日の教科書の勉強会で、ともこさんとはじめて会う。少し障害のあるともこさんは、学習会の会場に入るときにだだをこねた。たまたま目があった人を怖いと感じたらしい。そのあとは、静かに話を聞いていたが、達哉さんが発言したときは何故か拍手。とっても嬉しかったらしい。そのあと、彼の手をさわりに行く。終わってから、自己紹介する。私の手に触る。腕を組んで一緒に帰ろうねというと、力をこめてくる。ゆきこさんはどういうわけだかすごくやせてしまった。すっかりベジタリアンになってしまったとのこと。情熱的な目がくるくると輝いている。精神的な顔立ち。
 現職の教員が講師だった。あまり討議の時間もなく、発言は達哉さんの他には私だけ。娘がいま、教育実習生であること、教える側にいく若い人へのサポートをお願いします、とだけ発言した。
◆6月12日(日)
 朝から届け物で北区の滝野川会館まで。ところが、全館お茶の子さい祭というイベントの会場になっていて、訪ね人見あたらず。参った。でも、会館の外で佐藤有恒さんに会う。何年ぶりだろう。ずっと先輩なんだが、それに北区の現職の区議さんなんだが、会ったとたん、「有ちゃん、△×やってるとこ知らない?」と話しかけてしまった。「おう、おう、なんだ、あれ?」とびっくりしている。まあ、無駄足だったが、帳消しというところかしら。午後は、いつものお仲間と会って、みんなで汗かいて、充電して…のいつものパターン。昨日(土曜)の朝に原稿をFAXしてきて、月曜日にどうしても欲しい、というとんでもないお客さんがあって、仕方ない夜少し仕事する。「ノーモアJR尼崎事故−院内シンポジウムのご案内」だ。
 先日発行したニュース、みんなで訂正した以外に、まったく私のミスの誤植発見。訂正葉書を出す騒ぎになってしまった。Nさん、大丈夫、亭主と二人でできるから、と言ってくださるが、かなり落ち込む。本当に申し訳ございません。
◆6月11日(土)
 義母の喜寿の祝いとて、親戚一同が集合しました。みんなで楽しみにしていた集まりでした。毎年、正月の2日と義父の法事か義姉の法事のどちらか、法事でなければ、二人の命日に近いころ集まっていますから、年に2回はこのように家族全員で会っているのです。
 次男である夫が国会図書館から、母の生まれた日の新聞をコピーしてきました。「満州日報」です。当時の新聞、しかも日本が勝手に満州国をつくって、その中で発行されていた新聞なのですが、薬や化粧品の広告に混じって、書籍の広告にはクロポトキン全集や、大杉栄などの名前もあります。孫世代がいろいろ質問をします。いつになく饒舌な母でした。
 孫、つまりうちの娘たちといとこたち合わせて8人。なかなか豪華なものです。一人一人が本当にしっかりしてきて、自分の世界を語っています。
 姪っ子の一人が板橋高校の卒業生です。藤田先生のことが話題になりました。彼女は先生の最後の学年の一年前の学年です。…すごくいい先生だったよ。授業で、みんなに勝手なテーマで思ったことをしゃべらせるの。…おまえはなんてしゃべったの? ああ、もうどきどきしてなんにも言えなかったんだけど。…なんだ、授業しないんだ。…そうじゃないよ、ちゃんと後で先生がまとめて話をするんだけど、なんだかおもしろかった。みんな好きだったよ。だからメールもまわってきたし。…そう、おばさん、毎月、先生の裁判に行ってるんだよ、というような話。うちの娘の一人が今教員の実習訓練中。…何教えるの?…公民です。…先生って呼ばれてるんだ。誇らしげに頷きます。…だめだよ、偏向教育しちゃ。なんて冗談めかしていうおじさんもいて。ふっと、現実に引き戻されたのでした。
 帰り道に、白いワイシャツを買いたいというのです。学校に着ていくので。そういえば4女も昨夜遅くなって、おかあさん白いワイシャツない?ってきました。じゃ、買い物して帰ろうねとなりました。電車に乗るとき、ホームに居る高校生を見て、この子がいいます。「生徒たちね、本当にかわいいんだよ」「そう、不思議な気がするね、わたしは」「うん.。…最初はなんだかつんつんしてた女の子もね、だんだん話をしてくれるようになったの」。しげしげとよく見ても、いつものどこか夢見てるような風情の私の三女に間違いないのだけど、確かに成長している…。ああ、すごいなこりゃ。
◆6月10日(金)
 板橋子どもと教科書を考える会の学習会。斎藤貴男さんの講演を聴きました。非常に爽快な気分になります。斎藤さんは一時常盤台にお住まいだった。近所の元教員の方に紹介いただいて私たちも講演のお願いをしたことがありましたが、大阪に出張とかで。売れっ子ジャーナリストなんです。2000年に文芸春秋から出された文庫本「機会不平等」を前もって読んでいきました。何日か前の杉並での講演を聴いた方から教えていただいて、どんなお話かあらかじめ想像はついたのですが、非常に多岐に渡る研究に脱帽です。ジャーナリストっていいなあ。終わってから名刺を交換して、持参した本にサインしてもらいました。帰りに仲間に見せると「私なんか家に何冊もある、持ってくればよかった」と。(そうだ、昨日のKさんにもサインしてもらうんだったな。)斎藤さん、お話の最後に教員に向けて、このままでは教員の仕事は、う〜ん、墓堀人じゃなくてなんだったけ…おっしゃったんです。それを受けて現職の方が現場からの抵抗の報告を短くされました。この方が、月曜日に私たちの学習会に来てくださる方です。
 梅雨に入りました。
◆6月9日(木)
 できあがったニュースの発送の日です。3時に集合の約束でした。2時半に遅めの昼食を近くのお店で摂ろうと事務所を開けっ放しで出ました。そこでNさんと会い、一緒に事務所に戻るとAさん、Kさんがすでに作業をはじめていました。いや、雰囲気がおかしいぞ、と思ったら、K
さんが折りあがったニュースを前に、ご自分がゲラ校正を入れた部分、どうしても一つ加えないと意味が良く伝わらないかも知れないと悩んでいらしたのです。それで4人でボールペンを持って書き加えて。その後はNさんの周到な指示にしたがって封筒入れ、そこにSさんも仕事を終えていらして最後は宅急便の人の苦労を減らすべく、郵便番号順にして、数えて。完璧。で、Hさんという人は実に石頭だという雑談をしているところにそのHさんがいらして、さらに話が弾んだのでした。
◆6月8日(水)
 明日発送するニュースの原稿が昨日あたりからメールでバラバラ入り始めます。人が書いた原稿を尊重しないわけではないですが、私は自分の役目はこれをいかに限られた紙面に整合性よく入れ込むかなのだと思っています。それで結構勝手なことをさせていただいているのですが、幸いなことに今のところ苦情は出ていません。ちゃんと編集長がいて、もし原稿が足らなかったら…と裁判用語のミニ辞典をつくって送ってくれたんです。でも、案の定、みんな文章が長くて写真だのカットだのを入れられません。見出しを大きくとってちょっとかっこつけるのが精一杯の編集になりました。
◆6月7日(火)
 暑いですね。一日外回りで、西台という駅のそばにあるダイエーで、とうとう帽子を買い求めました。かぶってみるとなかなかいいものです。どちらかというとこれまで日傘を愛用してました。今日は納品で板橋区内を一周してしまいました。
 都庁の話。新聞で、横山教育長を副知事に任用するにあたって、「日の丸・君が代」強制に貢献したからというのです。こんなばかげた話がまかり通るなんて。
 板橋の「日の丸・君が代」強制に反対つどいのニュース2号にも共同通信の記事紹介として掲載しましたが、日中韓共通歴史教材委員会 「未来を開く歴史・東アジア3国の近・現代史」  発行:轄uカ研 http://www.koubunken.co.jpです。是非多くの方に目にしていただきたいですね。そうそう、教科書ネットの俵さんなどは、板橋でのささやかな教科書の勉強会にも来てくださろうという、そういう危機感があります。しっかり手をつないでいきたいものです。
◆6月6日(月)
 ジョリモーム路上コンサートのDVDを預かる。某新聞に紹介するため。制作はビデオプレス。ジョリモームというのはフランスの劇団です。1980年に結成以来、ブレヒトやジャック・ブレヴェールの作品、パリコミューンを題材にした戯曲など、一貫して貧困、大衆、連帯をテーマにした芝居を演じているのだといいます。ただ、通常のコンサートばかりでなく、デモ行進の盛り上げ役なのです。労働者、移民、失業者、路上生活者などが行動を起こすとき、ジョリモームはその傍らで彼らのために歌を歌うのです。
 パリコミューンなどというので、小牧近江の『異国の戦争』を引っぱり出してきて再読。 
◆6月5日(日)
 JR板橋駅で待ち合わせ。線路を越すと北区側で、興味がないといってはいけないけど、駅の反対側があんなにこぎれいになっているとは知りませんでした。近藤勇の墓所も、こじんまりときれいにしてありました。そういえば、板橋4丁目あたり一帯全部、加賀藩の下屋敷だったというのも知識として知っていても、実際にその土地の変遷を辿ると本当に驚き。そして、楽しいことです。
 ジャーナリスト・斎藤貴男さんの『機会不平等』。これ文庫本です。お勧め。
◆6月4日(土)
 末娘が、また自分の映画作品(の短いもの)が「あなたのはいつもシュール」と言われ「シュールってほめられたのかしら」といいます。幻想的なうちはいいけど、現実逃避にならないようにね、なんて、言わなくとも良いことを言ってしまいました。
 朝顔のつるの為に竹を探しました。100円ショップでは園芸用の一様に緑に塗った金属の棒を売っています。これは長さを調節できたりして、一袋に3本も入っています。でも、朝顔は、日差しで暑くなった金属には巻き付きたくないんですって。区内ではここ一件という竹細工などを売っているお店が志村の一里塚のところにあります。10本300円というのを20本自宅と事務所用に買い求めました。ものすごく、満足です。同じように、緑のビニールでコーティングした針金を園芸用として売っていますけど、これものびた苗を支柱にくくりつけると、植物は傷ついちゃうのだそうです。
◆6月3日(金)
 私は仕事で出版を扱っています。自社出版もささやかながら大事に追求しています。一人でやるのですから規模は小さいですが、自分の思ったとおりにできるのですから、最高です。中でも地域のご高齢の方が自分史を出されるのをお手伝いするのが一番性に合っているようです。会社は「人と時代と文化をつなぐ」をコンセプトにしています。お話を聞いて、テープおこしをして、ご家族の方とも何度もお話を伺って、部数は少なくても宝物のような本ができあがるのは本当に嬉しいことです。今も300ページ近いご本人の原稿を息子さんがテキストにしてくれたものに写真を組み入れているところです。
 今日は昼間、郵政国会審議をテレビで見ていました。議論はともかく、男性議員の多くがノーネクタイでいる姿はよかったですね。質問の内容まで、ぐっとわかりやすくなったようです。普段の背広姿では感じられない近さを感じました。それだけに、破綻した議論を繰り返すむなしさも強烈でしたね。どうせ、すぐ背広、着るんでしょうがね。
◆6月2日(木)
 昨日のニュースに、根津さんのことを載せたくて、ソースはメールでくるのですが、一応ご本人のご了解をと、メールをみかんさんに出しましたら、一晩してご本人からメールが来ました。ニュースを読んでいただければいいのですが、私は、根津さんが「もう、カードを数えるのはやめよう…」という心境がとてもよくわかるような気がするのです。(根津さんとおっしゃる方は、君が代不起立でこの春4度目の処分、停職1カ月を受けました。彼女は現在、毎日校門前に立っています。子どもたちが「どうしたの」と聞いてくるそうです。
 夜7時半ごろ、子どもさんの食事の支度を終えた仲間が一緒に発送の作業をして、9時30分バスの時間を気にしながら傘をさして門をくぐっていかれました。
 そういえば、浜渦降ろしのために辞表を出した横山、教育長ではなくなったものの、副知事ですって? 自分の後始末もしないで! 
◆6月1日(水)
 ああ、もう6月。ちょっとご無沙汰してしまいました。
 「日の丸・君が代」強制に反対! 板橋のつどいのニュース第2号が出来ました。北村小夜さんの講演記録が中心です。大阪の「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソンが発行している『良心と抵抗』というニュースがとても充実した内容なのですが、の24号が北村小夜さんの講演録なのです。板橋では「子どもたちを取り巻く目に見えぬ強制」という事でお話をお願いしたのですが、大阪では「非才、無才、そして障害者の立場から考える−能力主義と教育基本法「改正」」というタイトル。21年間にわたり障害児学級担任として共に学ぶ学校づくりをめざした北村さんは「子どもたちを分けないこと」を主張し続けてこられました。現行教育基本法のもとでも、「能力主義」は、障害をもつ子どもたちを他の子どもたちと分断してきたのではないでしょうか。もちろん現状でも問題がないとはいえない。しかし、能力主義と愛国主義を徹底する教育基本法「改正」がなされたとき、学校と子ども達は、どこに向かわされるのか、別に戦争体験をしていなくても、この危険性がひしひしと伝わってくるのです。 
2005年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月