憲法手帳雑記 2006年2月
◆2月26日(日)
 今日だけは自分の好きなことをしようと決めていた。事務所にくれば原稿が入っているのもわかっていたし、発送の依頼とか、明日納品するものを印刷しなければならないし、夕べのつどいの整理もあったけど、全部後回しにして、10時まで寝坊を決め込んだ。午後から神保町の岩波ホールに行った。折口信夫の原作をベースにした人形アニメーション『死者の書』を観てきた。8世紀奈良の都の物語。アニメーションも良かったが、岩波ホールの座席は背もたれと座る部分に低反発クッションが装着されているのが良かった。それに220席というのは手頃でライブハウス構想とともに、小劇場も予算要求に入れたいと思った。なんせ、文化会館でささやかな音楽会をやりたくても、金管はだめ、コントラバスは響くからだめという次第。そりゃあ、サティのシネコンはミニブレックスで手頃だが、商業ベースだからね。たしか、岩波ホールの支配人は女性。使命感みたいなものを持ってやっておられるのだろうな。羨ましいと思った。
で、事務所に来ると、大物原稿は入っておらず(あ〜、またこれで来週の予定が狂う!)、小口の印刷だけ済ませ、つどいの事務処理は家でやろう、となる。
 藤田先生の公判は(しつこいけど)もう来週水曜日。午前中は多分検察側の追加証人への尋問。午後はご本人の尋問になろう。わたしたちの想いをしっかり代弁したものになることを信じて疑わない。地裁でお目にかかりましょう。
◆2月25日(土)
 文字通りのつどい。60人の部屋に57人と発表したが、名前を書いていなかった方あり、59人の方が参加された。お一人早く退室された。言わずと知れた藤田さん。だけど、おいでになるのも大変だったのだ。一瞬でも惜しむ身なのだ。足かけ2年のこの積み上げの中で、嬉しい出会いもたくさんありました。04年の卒業式のあと、このテーマでの集会をなんどか持ってきたわけですが、その時にお誘いした方が今年、初めてお目にかかることができ、かと思えばそのお連れ合いの方は二次会で藤田応援団のテーブルに座っていらっしゃる。050505の私の音楽夜話で、私がかわいい!? って言って下さった方が一番前の席に座って聴いていらっしゃる。マラソンで有名だった昔からの友人は立派にアタマがピカピカになって、息子さんを連れて見えて、PTAの親父として、統廃合問題で発言。障害者支援法や特別支援教育の問題は一度や二度聞いても難しい話でしたが…。共謀罪や自衛隊のイラク派兵、憲法を生かす会の運動、杉並の教科書問題などで頑張っている方々から連帯の挨拶を受けたこと、Fさん、Fさんの会の事務局、小学校のKさん、高校のKさんの発言を受けたことで、このつどいの位置は昨年より明確になりました。行動提起に応えてアンケートにも嬉しい返事が数枚あり。みなさんでやれることを少しづつでも進めていきましょうね。
◆2月24日(金)
 朝から入れ替わり立ち替わりいろいろな方が出入りした一日。今夜はつどい実の作業日。
夜10時、みんなが帰って、少しだけ残った自分の仕事をする。自分のリーフレットづくり。仲間はいろいろ意見を言ってくれるけど「でも、こうしたいんだよね」と言うのも忘れない。その通りです。こうすれば、自分はがんばれると思っているのですから、こんなに分かりやすいことはありません。
 『私が一番きれいだった時』はあまりにも有名。この詩に長野の大沢隆男さんが曲をつけたまま放っておいたのを編曲し、合唱で歌えるようにした。もう10年以上も前の話。以来、自分のもち歌のつもりで愛唱していた。最近、ブレーミアがこの詩でイマジンの曲というコラボレーションで、というのにもびっくりしたものだが。 先ほど、自宅の娘から電話。すぐニュース23見てご覧!という。茨木のり子さんの詩二編、キャスターが朗読をしていた。『私が一番きれいだった時』を合唱曲として発表する時、茨木さんとお電話で話した。その頃ももういつも体調がすぐれないというお話だったことを思い出す。
◆2月23日(木)
 某労働組合の方に会いに行く。いろいろ届け物があった。もちろん藤田通信もお届けした。
「教えられなかった戦争−中国編」の宣伝にこれ努めている。板橋区の広報・タウン情報に掲載をお願いした。今3月号を作成中とのこと。入れられれば、ということでFAXで原稿をお送りする。原稿に車椅子スペースと書いて、そうだ、西川進さんを車椅子ごと連れて来よう、と思った。 
◆2月22日(水)
 
なんてこと。岩国での住民投票に向けて全戸配布がスタートしたと思ったら「住民投票に反対する会」が発足、棄権を呼びかける(!)4万枚のビラ入れをやるそうだ。井原岩国市長は「国に意見を言うのも市の大事な権限だ」という見解を持っている人。市議会や「反対する会」の包囲網に負けないで下さい。
 昨日の続き。私が藤田さんを知ったのは、まさにこの事件で。しかも新聞報道で。全然面識もない人に、どうしてあの時電話をしたのだったか。「どういうことだったのでしょうか」「私たちの会でお話していただけないでしょうか」。それだけ一気に言うのがやっとだった。声だけ聞くととても大声で、だみ声で、怖そうな人なのかしらと思った。「今は微妙な時なので動けません」と言われた。しばらくは「掲示板」でのやりとりだった。でもつながるべき人はつながるものだ。ある会でメールのハンドルネーム・オリガンズさんと初めて出会った。それで私もハンドルネームを明かした。「オフ会」やったらどうでしょう、と話した。しばらくして「応援する会」を発足させましょうという集まりへのお誘いが石頭さんからあった。掲示板での印象からするとオリガンズさんの実際はものすごく優しい人で、石頭さんはスマートな紳士だった。メールの印象よりシャイな感じの2人は意外だった。「会」が発足した当座も日常的にメンバーと会うわけではないから、そう気心が知れているわけではないが、ほとんどメールでの意見交換にしても、最初になぜだか分からぬが信頼があって、ものごとが積み重ねられて行ったようだ。藤田さんに近い人ほど、考え方も行動パターンも全く違うのが不思議だった。結構あしざまに言われながら「あ、そう」とあっさりと自己主張を引っ込めてしまうのもおかしかった。案外気弱なのかしらと見ていた。よく考えてみれば、私などよりみんな藤田さんに近い人だったのだ。その頃は起訴があるのかないのか、憶測ばかりが飛び交っていた。「会」が発足した日は私は大阪、京都から帰ってきた日だった。京都に寄ったのは渡辺厚子さんのお友達のマンガが得意な人に会いに行ったのだった。その前に彼にストーリーを送ってあって、絵を描いて欲しいその話をするためだった。マンガは日を経ず届けられ、度重なるチラシの裏にせっせと刷り込んだ。藤田が優しすぎるという意見はあったが…。結局、多くの人の手に渡っていったのだった。
◆2月21日(火)
 イギリスの学者が「ナチスのホロコーストは誇張、ガス室はなかった」と講演を行ったことに対し、オーストリアの裁判所は禁固3年の有罪判決を出したそうだ。「
この学者がどんな根拠でこんな主張をしているか知らないが(もちろんけしからんと思うが)言論に刑事罰で対応しては民主主義とは言えない。この判決への左右の立場を超えた世界中からの批判を期待する。」と田中哲朗さんからのメール。板橋高校藤田さんの刑事事件の場合も言論、表現を刑事罰でさばくことができないから「威力業務妨害罪」に仕立て上げようとしている。デッチ上げだからつぎはぎのボロが今や丸見え。「偽証」も飛び出し、都議のあるまじき行いも露わになり。それでも公判は粛々と進行し、3月1日には、本人(被告人)尋問である。私は、これから毎日、この藤田裁判に関連したことを何事か記していこう。ひとりでも私の拙文に接し、関心を抱き、まわりの人に声を発していただけることを願って。
◆2月20日(月)
 昨日書き忘れたこと。「憲法を生かす板橋の会」では今年で4回目になるイラク反戦デモを3月26日に予定している。
 「07年問題」という言葉が各所でささやかれ始めている。今日昨日の話ではないけど。「07年問題」を労働組合がどこも意識しているとは言い難く、それも「07年」が「問題」になる所以でもある。
 昨夜は、久しぶりにといおうか、某会のメンバーと作業後、近所の飲み屋に行った。と言っても例のとおり、先に行っててもらい、駅のすぐ近くだというその店を探すのに時間がかかったという情けない住民だ。ひとまわりも先輩の、今や私の親愛なる仲間たち。歩いて来た道は違うけどその心情は全部理解できる。できるが、それでももうひとりのF氏よ、とどまることはできないのだろうか。今更のように、F氏の存在の大きさに気づく。たった4カ月というが…。でもなあ、行かずにはいられないのだろうなあ。その遠さゆえに、なんだろうなあ。
 今朝のビラまき。「そんなをビラ、生徒に渡すな」「そんなこと、都教委行ってやってくれ」と。
板橋高校前で。
◆2月19日(日)
 フィリピン・レイテ島の地滑りで1400名の方が被害、国内では園児2人刺殺される。人間関係をうまく結べない街の中で起きた悲しい事件だ。かと思えば防衛施設庁の天下りによるゼネコン受注入札をめぐっての談合汚職。ついこの間空調工事で暴かれたばかり。しかも今度は岩国基地の飛行場滑走路移設工事だ。岩国では昨日、移転をめぐって住民投票を呼び掛ける全戸配布がスタートされている。総工事費2400億円の大規模プロジェクト。
 午後、憲法を生かす板橋の会で宣伝行動。大山の例のパチンコ屋さんの前。女性の方は賛否両論だが、話しかけてくれる。男性は、何というのかねえ、ちょっと話してみようか、とも思わないのだろうか。気持ちを示すのが下手な方が多いですね。ひどい人になると、チラシをひったくって、地面に叩きつけるように投げ捨てる。物にあたったってしようがないだろうに。目もあわせず「憲法改正!」とつぶやいて通り過ぎる人がいたり、かと思うと、すり寄ってきて「おねえさんとどこか行きたい」なんてばかものがいる。もっともこの人「ごめんね。ありがとうね。これ後で読むからね」と妙に丁寧に礼を言っておじぎまでして立ち去る。若い男の子はこの点ではだめねえ。手をつないでいる彼女の方が向こう側から受け取ってくれる。すると彼の方は覗き込むのだ。今日は6人で。
◆2月18日(土)
 某校PTA広報のお仕事。やったらめったら写真が多い。長いおつき合いの製版所と少し相談をする。今後の仕事の流れについて。結論からいうと、ベルがソフトを変更してくれるのが一番いい、今後にとっても必要と思う、だから協力すると言ってくれる。私の申し出は、講習料をお払いしてもいいから、御社で研修させてくれないか? というもの。製版所も我が社の状況は長年熟知の上で、無理な注文を文句もいわず処理してくれている。明日京都に色校を送りたいのよ、だから4時までになんとかお願い! コンセじゃ駄目。 なんていうのも前の晩夜中にデータを送りながらメールで頼む始末。それでもそれは結構可能な範囲の話。すべての仕事をフィルム出力まで責任もってやれないとどうも具合が悪いのだ。ここの作業でOKになっているものが、いまひとつその通りのものにならないのはプロセスがほとんどアナログにならざるを得ないからであって、ここに至り、我が社も大改革をしなくてはならない、その踏ん切りだけはついたという訳で、そのような相談になった。我が社の仕事は今や、全国の運動に影響を及ぼすものなのだから、個人的な感慨で拘泥(抵抗?…これで仕事が楽になるわけはないのであって)している場合ではないだろう。
 大先輩の菅原宗一さんのお宅を訪ねる。「教えられなかった戦争−中国編」上映会の賛同人になっていただくため。チラシに呼び掛けの原稿をいただくため。菅原宗一さん…元都議会副議長、東京日中友好協会顧問、そして元国鉄労働組合員。娘たちがお世話になった保育園の理事長先生である。園長先生もお元気で園長室でお仕事をされていたが、おいとまする時、最後の園児を送り出していらっしゃった。20年前と少しも変わらぬ。一昨日の国鉄集会の報告など交えながら、願いは叶えられて、次はゲラをお持ちすることになる。
◆2月17日(金)
 やな天気だ。気分が乗らないのに、いろいろ溜まってくる。要するにただの天気屋ということか。ちょっとした原稿のために、『日本民衆詩集』を読みかえせねばならず、収穫あり。関根弘さんはこんな本も書いていたんだ…。
◆2月16日(木)
 国鉄集会。ホールはあふれ、第2会場も、エントランスも、小雨に濡れながら会場の外にも。音威子府闘争団の岩野君、感慨深げに、人の波を見やり「やっと、こうなった…」と。6闘争団揃っての集会をもったことの意味は大きい。娘の小学校時代にPTAを一緒にやった方が廊下にいて、川村さん、お久しぶりです、Aです! と声をかけてくれた。まあ!少しもお変わりにならない。ここでお会いできるなんて! 外でビラを撒いていたSさん、Hさん、Uさん、Mさん。Hさんに「教えられなかった戦争、語られなかったって間違えてたよ!」と教えられる。ああ、またやっちゃった…。一度この話で「教えられなかった戦争」と「語られなかった戦争」と両方あるのよ、って教えられてから混同しっぱなし。でも「−中国編」と着け忘れはしていないので、それでご判断を下さい。いま、賛同人になってくださる方を募っています。これもねえ、実行委員とか賛同人とかってねえ、面倒くさいなんて思わないでくださいね!なんどもなんどもこうやってひとりでも関わっていただける方を増やして…というのが私たちの運動の基本だもの。で、今日はSさんが、4月は(国鉄集会)九段会館だよって言ったら、川村さんのリサイタル九段会館でやるの、だって。まったく無責任な戯れ言をおっしゃる。もっとも、板橋で300人集めるっていうのに何も進んでいないんだよ、なあんて「現場」を知らない人に無責任で無意味な噂話をされるよりずっと嬉しいことで。
 ところで、今日の集会のものすごさは入場者の群と入れずに(怪我しちゃ損だから帰って寝るなんておじさんもいた)あきらめて帰る人の群が絶えず交差していたこと。りんどう色(藤色という人もいる)のチラシを配っていた私は文字通り右往左往。外にいた公安も居るだけで疲れたことだろう。
 夜に入って、お客様、DTPソフトの使い方がわからぬとて電話をしてくる。できるだけご自分でやっていただいて、納得のいくものにしたい…これは我が社の基本姿勢。でもフィニッシュは私がやる。基本的な設定から見直す。こうしている間、2度目、3度目の電話がある。一度に手順をお教えすると、きっと分からなくなる。聞かれたこと、つまりいま先に進まないことを解決する。同じことを聞かれる。今度はメモするという。また聞いていいかという。頑張ってくださいと励ます。去年も同じだったね、なんて言わない。
◆2月15日(水)
 K先生の陳述を聞きく。120人もの傍聴希望者。コンピュータでの抽選であえなくはずれ。でもS校の卒業生に券が渡され、S校の卒業生の母です! と手を挙げて私も貴重な傍聴券をいただけた。地裁に入る時の荷物チェックの時、少し2人の卒業生と話をする。…来てよかったと言う。今日の被解雇者の方はみなお目にかかった方ばかり。原告の席には懐かしいような顔ぶれが並んでいる。さてK先生は「教員をしてきた私の思想的バックボーンは平和主義、主権在民の日本国憲法です」と語り始めた。我が家の2人の娘も経験があるが、S校では体育祭などでクラス毎に揃いのTシャツを作る。ある年のこと、K先生はそのTシャツを着用しなかった。「大和魂」とプリントされたものだったからだ。クラスには中国籍の生徒もいたからで、さもあろう「教育的」配慮だと思う。S校では8割近くの生徒が不起立だった。
 04年の卒業式当日、君が代斉唱時、瞑目しているその背後で、教頭が「K先生、勤務中です、ご起立下さい」と言った。式が終わると即「話があるから会議室に来て下さい」。会議室には指導主事も居て、教頭が「10時5分、お立ちくださいと言ったが立ちませんでしたね、確認します」「それは内心の自由の…」「立たなかったかどうかをお聞きしています」「……」「それでは指導主事に代わります」と。
 K先生は再雇用も決まっていて、教科(数学)の必要書類や被扶養者届けなど整えるべき書類を次の任務校に送っていた。4月1日には初出勤の予定だった。時間割も決まり、楽しみにしていた。その2日前、S校の校長から「処分の言い渡しがあるから都教委と自宅に行く」と連絡が入った。自分が学校に出向いた。「再雇用取り消し通知」と「処分説明書」を渡された。2日前の解雇通知は労基法上でも考えられないことだ。このような「処分」を受けたK先生には後日、「優秀な勤務…」にと「感謝状」が送られてきた。
◆2月14日(火)
 練馬の仲間たちが都教委に申し入れをすることになった。Y都議が日程調整して下さった。板橋も発言可能とのことで、急遽都庁に出向く。小・中・区教委、高校にあててはつどい実として過日、文書で申し入れをしてきたところ。申し入れでは担当者のたまう。「回答はしかるべき所管から、“お答えできない”ことも含めて、責任もってやらせていただく」って何それ!「私の役目は“広聴”、“内心の自由”等々、指導の問題については答える立場にない」って。それで即、Wさんが“内心の自由”が指導の問題というのは? と問い質す。まあ「指導部」の役目という意味だったのだろうが。久しぶりにKさんの人なつっこい笑顔に接する。夕方はこの申し入れ文書に手を入れたりしていて、どんどん時間がなくなる。3時半には出たいと焦っていると、3時頃N子さんが来社。おかしかったのは、事務所の前のポスターを見て電話をくれたのだ。そうしたらメッセージが満杯になっていたとのこと。ちょっと慌てる。彼女はサティに行く途中下車して寄ってくれたのだ。とっても嬉しかったのです。でも用件は「某組合の役選どうだったんだろうね」というのでした。よい返事をきかせて差し上げられませんでした。そういえば彼女大きなマスクをしてた! 彼女のお連れ合いは最近までインフルエンザだった! 大丈夫なのかしら。都庁からとんぼ返りで「教えられなかった戦争−中国編」上映実行委員会。今回はあの人にもあの人にも振られちゃった。この時期だものね。一カ月以上先のことだし、緻密に準備するとはいえ無理があったのでしょう。出直しのつもりで次回第2回は3月7日に。想定内とはいえ、ちょっぴりショック。
 あたたかい一日でした。こんな日があるところりと騙されます。気をつけねば。明日の朝は区役所前に参上です。三女のバースディ。ごめんよぉ〜、今夜も遅くなる。 
◆2月13日(月)
 毎日落ち着かない。自分のペースがつかめない。いや今の状態は自分のペースではないという感じ。早朝ビラは非常に受け取りもよく、頑張ってくださいと声をかけてくれる教員の方も。
近所に住む仲間、(出勤時間だから)着替えがあるからと自転車をひいて手を振る。それにしても交通事情のよくない場所である。大型のトラックが学校の塀に沿って何台も走り、校門の前で右折や左折するところを生徒たちが自転車でスーッと登校してくる。結構危ない。ミラーがちゃんとあったかどうかは確かめ忘れた。私が入試の発表でここに友人と来たときはまだ古ぼけた校舎、長女がここに入学したときは建設中だったが、今はぴかぴかだ。
 夜、つどい実のみなさんで打ち合わせ。前年のつどいと比べると、地域のさまざまな課題も出し合えるような場になると思う。新しい発言者もほぼOKで。
 仕事。チラシの増刷決定。(これは折りと化粧が終わった途端、全部出庫し尽くした)先輩が始めたいずみ書房のデータブック増刷決定。新刊の一部が入稿。定期刊行物そろそろ下版。
◆2月12日(日)
 月曜日11時の約束のつもりのお客さんが今日見えて、慌てた。今日の宅配便出荷のために事務所は空けて出ていたから外で待たせることにはならなかったが、ストーブの着け方も知らず、寒くてふるえていらしたようだ。まったくこの事務所は冷える。とことん冷える。気の毒なことをしてしまった。明日朝のビラまきも寒そう。
◆2月11日(土)
 社会民主党が大会。96年の「自衛隊は合憲」とした認識を改めるのだという。遅ればせながらとか、今更…なんて言わない。何もかっこつけることも言い訳もいらない。改める時がきたとやっと思えたのだろう。がんばってください。思想運動753号武井昭夫氏の連載時評を読む。
共産党といい、社民党といい内部に抱える癒しがたい体質をここまで斬って捨てられようとは。それでも共闘、統一戦線の可能性を決定的には壊すことはできないと新社会党は耐えているとの説である。高いところから観ているとそういう評価になるのかもしれない。だが、新社会党も耐えているばかりではだめだ。壊れるものは壊れる、という気もする。運動を再生する力がなければ壊れゆくものにすがるばかりだろう。運動をつくっていく力とは何か。「人間」の力というものを政治も経済もあまりにも軽んじてきた。そこいらの組織もその真似をする。
 運動を作り、切り開き、壊れれば再生させる力はいま個人の中で眠っているのではないか。新社会党が耐えていると言われるのは、過大評価かもしれない。耐えることに慣れてしまって、眠っているのと変わらなくなってしまっていくのではないか。一人ひとりと話ができる「言葉」をもとう。通達なんか、メールなんか書けなくても出せなくてもいいじゃないか、仲良しグループでネットで勢いづいているのなんか今はいらない。自分の言葉を、顔を合わせて語れる言葉をもとう。当面、運動を再生する力はここから、と思っている。

 とまあ、深刻な状況だという認識はかなり広がっているのだけど、そういう中だからこそ、そんな中でも自分の気持ちを大切にして、あちこちで声をあげ、手を結ぼうとしている人たちに感動し、共感する毎日なのです。特に若い女性も、男性もきちんと話しかけていけば、世の中のことにも真剣に目をむけているのが伝わってきます。ほっとします。
◆2月10日(金)
 午前中病院。あまり数値が良いとはいえない。自分の体も管理できないでは情けない限りだが、原因は分かっている。昨日は午前中に来客の予定だったので薬を午後飲んだ、せいだ。
昨日の憲法生かす会の心楽しいことがあっての今日、仲間から電話。今日の会議は僕が出ますよ。有り難い。助かります!お願いね! 別の仲間からメール。インフルエンザです、5日の集会あたりから私に接触した方はご用心だって。いやねえ。板橋の抵抗勢力全滅じゃない。でも、そういえば私、大病はする割りに風邪ってひかないみたい。みなさまもお大事に。
◆2月9日(木)
 労組まわりの続き。夜、憲法を生かす板橋の会・懇親会。また、力強い仲間が増える。
その勢いも手伝ってか、少なくとも3月31日まではめいっぱいの私たちの予定に、また強烈な意思をもった行動が追加されることとなる。でも、これは良いことなのだ。嬉しいことなのだ。
病が進行しているのに、杖をついて会場に入ってくる方。いたたまれない気持ちでさ、と。
 明日からン万枚のチラシの発送、第一陣といったところ。各地の学習会や講演会や集会の予定が知らされてくる。あの人は韓国に行くと、あの人は映画を見たよと、あの人はこんな投書があったぞと言ってくる。…まだ、これだけのことがあっても、まだ、一見世の中は静かだ。
◆2月8日(水)
 午前中藤田裁判。まったくどこに藤田さんの「威力業務妨害」があるって言うの! 板橋高校の教員だった方、卒業生の方が証言。教員の方は徹頭徹尾、いささかも揺るぎない証言。特に藤田さんのことが威力業務妨害なんて…、私たちは来賓都議が式中あのように大声で怒鳴ったことの方かと思いました、と。検察は卒業生の証人の粗を探そうとでもしたのかしら。在学中の喫煙のことなど聞く。でも逆に藤田さんが「たばこをやめろよ」といいつつ、彼等の吸い殻を片づけている姿などを話したため、傍聴席はすっかり和んでしまった。つまり、検事が言いたかったことは「あなたはどのみち藤田さんに恩義を感じているから」という印象を植え付けたかったのだろうな。裏目に出たことは検事も感じていたみたい。
 午後、とんぼ返りで区内の労組まわり。何といったらいいかな、表通りで看板掲げているようなところではなく、横路を一本入ったところの民家に紛れているグループホームなど。1人で24時間子どもらを守っている労働者たちに会う。車椅子で工場で働く仲間たちに会う。知り合いの書店に寄った際、書店仲間が企画制作したちょっとひと味違う地図のことが話題になる。地域おこしを考えて作られたもの。そうだ、これを中国の青年の日本語学習に役立てるのもいいかもしれない、などと思いつく。
◆2月7日(火)
 観たい映画が立て続けに公開されている。「白バラの祈り」…実は白バラ団のことはかなり以前に知ることがあって、「白バラの匂ふ夕べは」との関係を無理矢理もたせようと調べたこともあった。まだパンフレットを読む限りだが、このような素晴らしい映画になって、嬉しいのはいうまでもない。Sさんに先を越され、今日はNさんにも先に観られちゃった。親子の間でも、夫婦の間でも、極限で人間が発する言葉って。…考えさせられます。
 夜、つどい実行委員会の作業でみなさんいらっしゃる。
◆2月6日(月)
 それが誰のためのものであっても、娘等の編み物姿はいいものだ。指先は出せるように絞って可愛くひもをつけたオリジナルの手袋や帽子やマフラーやショールがつぎつぎと出来上がっていく娘。折角途中まで編んだのに、何を思ったか解きはじめる娘。出来上がるのを待っている娘。姉に、自分とボーイフレンドとお揃いの色違いの帽子を作ってもらえるなんて嬉しいことだと思う。まだこどもたちが小さかった頃は私が刺繍をすればまわりで真似事をするから、みんなに刺繍の木枠を与えたのだっけ。編み物をすれば同じように小さな指でかぎ針を使って。家のいろいろなところでかぎ針がせっせと動いていたっけ。ああ、私も編み物がしたいな、と思うがとにかく寝るのが先だという日が続いている。
 今朝は某校の近辺で生徒に向けたチラシ配り。寒かったこと。こんなに寒いのに高校生の娘さんたちのスカートの丈の短さは気の毒。好きでやっているとはいえ、「みんながそうだから」ではなく「自分の体」を大事にしてくれないと。*配ったチラシはそういう内容ではありません。
念のため。
◆2月5日(日)
 処分撤回! 解雇撤回! 子どもが主人公の卒業式を の総決起集会。日本教育会館ホールで。11時には会館前に私服が一杯。この時期の決起集会としては二度目だが、非常に質の高い素晴らしい集会でした。最初の沖縄辺野古からの報告に始まって、報告は多岐の分野にも渡ったが、どれも真摯に人生をかけた闘いを訴えている。「自由」の意味、「教育」の意味、
他者の言葉を聞いて、自分が生きる意味、たたかうことの意味を再確認させられた。個人的には藤田勝久さんや近藤光男さんのファンみたいなもので、それは、生き様がじかに伝わってくる場所にいるからだけど、舞台で話しているみなさんの非常に明るい表情はそれぞれに印象的だった。増田都子さんはファンというよりは同志だ。同志だから、たまにハラハラ(というよりドキドキかな)することもある。今日彼女の話を注意深く聞いていて、100点満点だと思った。パワー全開だ。きれいに輝いていた。信念を持って闘っているひとは美しいな。やっぱり尊敬するな。はじめてお話を聞いた方もいる。新たな決意に胸を打たれる。鉄建公団訴訟の酒井さんの「裁判に踏み切った仲間も、そうでない仲間もそれぞれに悩んだ上での結論」という視点は大事。大内裕和さんの話では「日の丸・君が代」強制に対する闘いが「新自由主義」に対する闘いであることを強調され、故に他単産の闘い、幅広い市民の立ち上がり、それらと強く連帯する重要性を説かれた。報告者のみなさま、ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱい。
 ところで、何より今日嬉しかったのは、終わってから板橋のメンバーで喫茶店に寄り、明日朝からのビラまき、2・25の打ち合わせを短時間ながらできたこと。2組の夫婦、1組の親子、4人の仲間。そうだ、会場にはもうひと組親子関係の方がいたんだっけ。その場で賛同人になって下さった方もいたし。前代未聞じゃない。でも明日の朝、寒そう……。
◆2月4日(土)
 朝から晩まで4種類のビラづくりで終わる。娘が今夜「ホテル・ルワンダ」を見にいこうというから楽しみにしていたが、木枯らしが吹きすさんでいたし、印刷はまだ終わらないしで断念。「白バラの祈り」も今やっているようだから、楽しみが増えたというもの。1月15日の朝日新聞に、ポール・ルセサバギナさんの記事が掲載されていた。
 アフリカ、ルワンダでは、1990年に多数派のフツと少数派のツチとの間で内戦が始まった。1994年から、フツ族(民族主義者?)によって、ツチとフツ穏健派のジェノサイト(大虐殺)が起こってしまった。死者数は、国際赤十字の概算で100万人とも言われている。
 ポールさんは、そのジェノサイトの真っ只中、ホテルマンとして有力者との間に培った人脈を駆使し、はったりや賄賂も交え76日間拒み続け、攻勢を強めた反政府軍側に脱出したのだそうだ。多くのツチ族の命を自分の身の危険を顧みずに守りきったことでアフリカのシンドラーと呼ばれている。ジェノサイトを現実にやってしまう人間の愚かさ、残酷さ、卑劣さ、闇の深さにはああ、とため息が出るばかりだが、本当に立ち向かう、命がけで闘う、しかも勇気と知恵で少しづつ可能性を押し開いていく。人間だからこそできることだ。映画の興行はまず売れる売れないで判断されるという。署名運動で実現した上映こそ、多いに鑑賞したいものだ。
 月の砂漠のメロディとともに週末灯油を売りに廻っている青年と話をする。何年も前の冬、心臓の具合の悪い時、ごめんね来週は入院しているからいないわ、というと「大変じゃないですか、油買っている場合じゃないですよ」と言ってくれて、以来冬場の週一度、「寒いっすね」「ごくろうさま」「値段があがっちゃってすみません」の会話を交わすだけだった。今日は「お客さんって、政治の人だったンすか」と話しかけてくれた。聞けば投票なんかしたことがないと言う。でも今度はという。(領収書では)足立の方の会社なのね…、いや板橋区民ですよ…! それで思わず、青年の油の染みた手にインクで汚れた手を差し出した。
◆2月3日(金)
 昼間区役所庁舎前でのパート労組の方たちとの昼休み集会。2、3分でと連帯のあいさつを求められる。自衛隊東部方面隊の出動にあわせ、練馬の商店街に張り出されている黄色いハンカチのこと、学校の校長が「自衛隊に反対している人達がいるので今警備が強められている」等と生徒に話していること、それらと「日の丸・君が代」強制は同質だけど、学校現場ではもの言えぬ教員づくりの試金石になっていること。国が戦争のできる国になっていく、思想・信条、表現の自由を弾圧してくる背景にはやはり財政問題=赤字問題がある。国鉄も郵政も現在進行している公務員攻撃も。だけど、誰が作った赤字か、何に使われた結果の赤字か、国民や労働者の責任か。非常に貴重なみなさんの闘いに学び大胆で緻密な反撃を作りだしていきたい。などと早口でしゃべって3分を超えた。司会者から「あのう、つどいはいつですか」と言われる。で結局4分だったろう。
 夕方近所のSさんのお宅で、お茶、する。裁判の話を伺う。違法建築のマンション。これについては日をあらため書く時があると思うが、初めて聞いたことは、マンションなどの建造物の違法な部分をちょん切って撤去することが、できるのだそうだ。知らなかった。阪神大震災での飴のように曲がった鉄鋼でもダイヤをつけたチェンソー(?)の大きいもので文字通り切ってしまったのですと。そうできたらどんなに気持ちよいことだろう。街の入り口、駅前の一等地に立ちはだかった高層マンションの鬱陶しいこと。私からはちょっと変わった学校(と言いたくないが)学びの場づくりのご相談があった。昭和14年4月1日当時の常盤台1丁目の地図とドイツではすでに総観客動員数100万人を超えた映画「白バラの祈り」のパンフレットを貸してくださる。
◆2月2日(木)
 学校のあり方について憂慮するのは最近に限ったことではない。それらが放置されたまま、なぜこのように悪い方向にばかり進むのか。理解に苦しむ。公教育も企業並み、経営観念を持てとトップたるべき学校長は叱咤激励される。東京都教育委員会は経営アドバイザー集団と化す。教員は効率的に優良な商品をつくる労働者である。余計な「考え」はいらない。ベルトコンベアからころげおちるものにかかわりあっていてはいけない。ましてやベルトに乗れなかったもののことなど気にする必要もない。いや待て、その前に教員たるもの、工場に入る前に日の丸を仰ぎ、君が代を諳んじろと。これが「君が代・日の丸」強制の現段階だ。
 私の仕事場には私ひとりしかいない。背面管理されるまでもなく、まあ我ながら朝から晩までよく働く。今日なんか、印刷だけでほかのことをする余裕がなかった。6時半には会議のためにでかけなくてはならない。製本所のひきとりは6時が限度。12時から印刷をスタートして24版の1400通し。1版に15分かかる。途中紙を積むので実際はもうすこしいる。そのもうすこしの分、データを流して、刷り位置を安定させての分をもうけるために印刷のスピードをあげる。
結構緊張しながらも順調に機械につきあっていると、「発送依頼」などとしたFAXが入る。印刷機が廻っている間、冊子小包をつくって、だけど郵便局に行く暇はない。たった2つ程度のために集配を呼ぶ気にはなれない。台の用紙が1000枚になったところで、よし8分で郵便局を往復しよう、と出かける。案の定、窓口には先客がいる。走って戻ると台は空っぽになって下に降りている。製本所は6時5分前に来た。納品してもらうものを先に降ろして、刷り上がったものを積み込む間も最後の一包みがまだ終わらない。ごめんね、カウンターがあと4分って言ってるの…。いいですよ、お待ちしてます。…玄関の電球が切れたままだった、いつからだっけ、そうだおとといもきれていたんだ、くらい玄関でひしめきあって靴を履いた仲間たち、私も昨日スタンドバーについていけばよかった、製本やさん寒いんじゃないだろうか、…4分というは結構いろんなことを考えられる時間だ。
◆2月1日(水)
 決まって1日には、今月は最後まで毎日何事か記録しようと思うのだが。
 昨日は藤田先生を応援する会でのニュースの発送作業があった。3月23日には結審となるこの裁判について、板橋地域の中でどのくらい話をしてこれただろうか。結局そこにいきつく。それぞれの人がそれぞれの場で…。まだまだ新しい「それぞれの春」は来ないのである。2月25日の「日の丸・君が代」強制に反対! 板橋のつどい、3月25日の「教えられなかった戦争−中国編」上映会の実行委員会並行して進んでいる。切り口はいろいろあってよい。製本所から入荷すると数日で出荷されてしまうデータブックの作業がばかにならない。昨年から教育の項目もつくられ、仕事をしながら勉強させられているのだが、このデータブックの編集人の問題意識に学ぶところは大である。教育の改悪(第4章)、社会保障の改悪(第6章)、庶民増税(第6章)、公務員攻撃(第3章)などの背景にあるのは巨大な財政赤字だ、と言い切っている。
 娘の就職で、まあ、頑張ってごらんと、先月、書いた。同じ言葉で(おそらく私のHP上のニュアンスで)娘に言った方あり。そして今日、来年、もう一度考えてみて欲しいと言ってくれる方あり。 「……採用されても、真っ当な良心を持つ人には厳しい道が待っていますけど・・・でも、でも、社会問題には無関心、上には従順、私生活至上主義のセンセーばっかりになっちゃったらどうなるんでしょう? 意識の高い人には、ぜひ、諦めないで、教員になって欲しいんですけど・・・」。娘よ、母はこのようなことを言ってくれる友人のおかげで、物事をもういちど、深く、考えてみようとすることができる。反省もする。あなたに本当にアドバイスできていたかな…。  
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