憲法手帳雑記 2006年9月
◆9月27日(水)
 国内における庶民の生活苦、増税、労働問題が吹き荒れると、その不満を国外に向けようとし、国内にむけては「治安維持」にこれつとめる、昔も今も変わらないのだな。堺利彦が 『嗚呼、増税』で一躍名を天下にしらしめ、幸徳秋水が「大逆事件」までの世情は、非常に今の今と似ているような気がする。私は「産経新聞」なんかを読むから、余計に「むこう」の露骨な思惑が解って不愉快になってよくない。安倍内閣、きわめて危険なその船出、その羅針盤の針は東西南北じゃなくて「過去」を指しているのだから。血筋はしかたないとして、なぜ、彼が教科書問題などに最初に介入したか、なぜ、彼などが教育基本法問題を最重要課題とするか。その背後には大きな人脈というものがあるということだろう。そこいらのチンピラ右翼都議なんてもんじゃない。いまや、わかりやすい財界の手先然とした人は流行らず、ちょっと陰湿な雰囲気に包まれた日本会議のようなところとのつながりをもつものが前に出てくるということになる。(で、それが政策的には新自由主義の促進に向かうというのがやはりよくわからない…う〜ん、復古主義への本気さ加減が)。ここ、日本会議のブログでは予防訴訟判決について、教育基本法10条の「不当な介入」にあたると断じた部分に非常に敏感に反応している。現改定案でもこの「不当な介入」の文言があり、消してもらわなくてはならない、と。そうでなければこれを盾に教員の提訴が続く、というわけだ。
 昨夜の驟雨にもめげず、国会前に大勢の教員を含めた人々が集まったのも、この判決があったからだ。そういうふうに生きてくるんだ。
 それにしても、昨年9月15日の鉄建公団訴訟判決では折衷判決を書いた難波孝一裁判長、「なんばしょっと!」なんてみんなして言ったけど、今や「難波判決」とまで言われる名誉を得ました。これからは「地裁の良心」とお呼びしましょうか。
 大事なことを忘れました。「あんころ」も是非見てくださいね。若い仲間が夜遅くまで頑張っています。元気いっぱいのサイトです。
◆9月26日(火)
 ずぶぬれになった国会前集会、750名! 私はほんの始まりの頃だけで。平民会議は7時から始まっていたが、30分遅れの出席になってしまった。
 集会の様子はビデオプレスがレイバーネットにアップしてくれているし、被処分者の会通信[12]もご覧ください。
◆9月25日(月)
 明治の昔に、輸入された近代的イデオロギーと日本の封建的イデオロギーとの対決はさまざまな分野に渡ったであろう。地租問題、労働問題、足尾鉱毒事件は余りにも有名だ、社会主義、キリスト教主義、被差別部落、天皇制…。1880年(明治13)に創刊されたキリスト教思想・評論雑誌がある。進歩的な立場をとった。日本で最初にマルキシズムを紹介した雑誌でもある。新島襄の同志社大学に籍をおいた若き日の山川均も愛読した「六合雑誌」。「六合」とはコスモスの和語。そんなところから、『週刊新社会』板橋版の10月は「六合(コスモス)」号とします。誰ぁれ?「六合目まできたか」なんていうのは。もっとも私のこういう「癖」は『ヘチマの花』号あたりでお気づきでしょう。それで事務所の前にも今はコスモスが咲いて、秋明菊も咲いているのです。Kさんの手作りのベンチは近所の方にとても好評で、いろんな方がちょっと休憩とばかり腰掛けています。朝の散歩のおばあさんだったり、遅くまで働く人だったり、深夜に相談事のあるらしい二人連れなどが。こういう市井の方々が、明日はこぞって国会前に行くんだったらいいのにねえ! とんでもないことが決まってしまうかも知れない臨時国会…。悔やんでも悔やみきれないじゃないですか…。
◆9月24日(日)
 久しぶりに日記がとんだ。私もいま、「地域」という漠然とした「場」で、超感動的な闘いを進めている。あんまり冗談や気休めを言う気にもなれない。…ンだろうな、とご理解ください。でもネットでは嬉しいことも。ちょっと遠方の方だが、かつての音楽運動つながりで。「音楽」への信頼を取り戻せたメールいただく。それから私の短編小説が一作品づつ『街と文学』ということでフリーペーパーで書店や喫茶店においてもらえることになる。それからそれから板橋区史はついにやっとのことで何の説明もないままに正誤表が出た。Oさんが最初に「区長への手紙」で疑問を呈してから1年。今日、公文書館までもらいに行った。だが、それでも不充分。いったいこの編纂責任者はどうしちゃったんだろう。北区でも区史の編纂発行事業には6億ぐらいかけているようだ。板橋では7億。どうせこの種の本をちゃんと読む人はいないだろうと思ったか。信用問題ではないか。ちゃんと改訂版を出して欲しい。それにこうした事業こそ、区内の業者を使うべきだろう。ちなみに正誤表はな、なんと16頁、525箇所!! 
 被処分者の会の通信[11]、ご覧下さい。極めて稀なる公正な判決が出たことで、波紋がますます広がっている。
 それでは、また出かけてきます。 
◆9月21日(木)
 深夜、陳述集のことで近所にお住まいの方から問い合わせのFAXが入る。深夜ではあったが、今日の判決のことと繋がっているような気がして、見れば近所の方ではあるし、許されるかと思って電話をしてみた。…そうなんです!私、たまたま板橋高校事件のことで応援する会でいろいろ考えさせられて…あらぁっ! そうだったんですか! 私、いつだったか、大山駅で藤田先生のことでビラを配っていて、あれ、あなただったんですね、それをたまたま貰って、いろいろ知ったんですよ! …元教員だったんですよ、…今日の判決、もう、ほんとに嬉しかったわね!…ほんとにほんとに! MLでは全国からこの「!」マーク付きのメール飛び交う。 
それから、おもしろい言葉遊び覚えちゃった。「うつくしいくに」:「にくいしくつう」。 辛うじてまだその椅子に座っている首相の曰く「国旗国歌の問題は法律以前の問題として考えてもらわなければ…」だと。
◆9月20日(水)
 今日、写真撮影をしてもらうので、昨日、娘に付き合ってもらって洋服を買いに行きました。
娘の感覚で選んで貰うって愉しいかも、と思ったのですが、娘の方は“母の人となり”を尊重したかったようで、何軒もまわり、結局池袋のキンカ堂できわめてオーソドックスな柔らかい色合いのジャケット付きのスカート付きのワンピースを選んでくれました。嬉しかったのは値札の
14000円が7000円になっていて、更にレジで半額! 大満足の母に、娘は別れ際、明日の朝8時に家に寄って髪にアイロンかけてあげるから、首を洗って(じゃなかった)髪を洗って待っててねと。それで今朝はお嬢様っぽい化粧も施してくれて、昔なじみの写真屋さんにも付き添ってくれて無事、ポスター用の写真を撮ってもらいました。おかげで、昼間はいつもと違う気分で外回りをしていましたが、夕方近くなると小皺にファンデーションがこう食い込むような…。
◆9月19日(火)
 先輩からのメール:21日の「予防訴訟」判決を前に、「こちら特報部」2面を使って、「日の丸・君が代」被処分者のいま、と題して、4回不起立の河原井さん、懲戒8回・根津さんの発言を紹介。同じ面「本音のコラム」で鎌田慧さんがピースボートの船上からの原稿も載せています。あさっての判決にも注目を!僕も東京地裁に行きます。……21日は私も地裁に行きます。
あ、これ東京新聞です。がんばってますね。
東京新聞「こちら特報部」2006年9月19日朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060919/mng_____tokuho__000.shtml
◆9月18日(月)
 このごろタイムスリップものの形でやたらに「戦争」を“見直そう”とする気配の感じられるドラマが作られている。昨晩のテレビドラマがそれ。現代の若者の典型のような主人公がサーフィンを楽しんでいる最中に1944年を生きる航空訓練生と体が入れ替わってしまうという設定。過去から現代に来てしまった青年は、自分の位置をだんだんに学習して、愛の対象を得るが、現代から過去に行ってしまった青年の最後は「敗戦の詔勅」の翌日に、理不尽な上の命令にそむけぬ上官を殴って自分が人間魚雷「回天」(…後に進むようには設計されていない、んだって)に乗り込み命を失う。「ちくちょう、俺は国のために死ぬんじゃない! お前のためなんだ…」と突っ込んでいく。若い上官は彼の彼女のおじいさん、だったのである。つまりその上官が無駄死にしたら、彼女はこの世に生まれてこないことになる、という筋立てなのです。これなども少し味付けを変えた「愛するもののために死ねるか」路線なのか。何度も言うが、愛する者ののためにこそ、生きねばならない。美しい日本人になる前に、あたりまえの人間にならなければいけないよね。
◆9月17日(日)
 定例の「憲法を生かす板橋の会」大山駅での宣伝。KTさんは板橋区の「国民保護計画」のこと。私は区内の学校と地域で起こっていることと「教育基本法改定」問題で。10月から本格始動の「自立支援法」については話す時間がなかった。雨で改札を反対側に移動したりしたから。TUさん、KWさん、お疲れさまでした。
 「国民保護法」については各自治体で条例づくりが着手されていることを今月のはじめに述べたが、板橋区では8月7日に板橋区国民保護計画協議会に「計画(素案)」が発表された。日本語は間違えやすい。国民保護というから国民を守るのかと思うのが当然だろう。だが違う。国民を守るために軍隊の活動をいかに保障するかと読まなくてはならぬ。これじゃ、あたりまえの学力ではついてゆけぬ。「防衛行動のための住民避難との錯綜防止」だの「他のものが指示できないと認められる場合の自衛官の直接の退避の指示」だのとにかく物騒なこと極まりない。これが何の議論もなく、第2回板橋区国民保護協議会で素案が決定された。こんな机上の空論(になればいいが、それだけに)とはいえ、許すことは出来ないではないか。
◆9月16日(土)
 天祖神社のお祭り。何の脈絡もないけど、自衛隊員が国家公務員に占める割合をネットで調べようとしたがなかなかパピッとくるものがない。それで次へ次へと見るうち、中学生対象に自衛隊が受験勧誘(高校受験の腕試しになります、とか、かわいいシールなんかつけちゃって)といったおぞましい記事をみたりするうち「岡田かつや」のHPというのがあって、誰だ?っけなんて思ってしまう。ああそういえば、この人ぐらい印象の薄い公党の党首もいなかったなあ、あれ、その次のお若いのも顔は出てくるが名前が出てこない。…単に私の頭が悪いだけか。
それで、発端の割合ですが、3割と誰かが言っていて、確認しようと思ったのでした。まあ3割程度として、ですよ、これだけあちこちで公務そのものがどんどん減らされ、構造改革の大きな目玉になっているわけでしょう。自衛隊のやりたい放題、これでいいの? 
 例の「オトコノオコサマ」の年間養育費は305万円。今ときのフリーターの“年収”より高いって、9月19日付け『週刊新社会』に。
◆9月15日(金)
 夕方、東京けんり総行動の一環としての「山本製作所本社」への抗議行動に腕章を巻いて自転車でいく。霞ヶ関から都営三田線で移動してくる彼らを待つこと定刻より30分。環七沿いの会社正門のあたりに三、三、四五集まり始める。かなりの人だかりになったところで、抗議集会。私より先に来た公安二名。ここの経営者は何を考えているのか。通用門に鉄パイプを縛りつけて、正門のシャッターも降ろしている。交渉には応じず。それでいて2階オフィスは電灯がついており、屋上から時々若い社員が道路の私たちを覗いている。FAX一枚で首をきられる労働者の身になってみよ。
 夜、三宅晶子さんの講演と藤田先生がアピールするので池袋ECOとしまへ。エレベーターを下りたところでKBさんが迎えてくれる。三宅先生の話を聞いていると問題点が明確になるばかりでなく、できることは何?! と一生懸命考えている自分がいる。若い女性が言葉を継ぎ継ぎ一生懸命質問をしていた。藤田先生の話はいつもとはまた少し違って、(この方は自分のことは余りおっしゃらないし、肝心の裁判のことは漫談にしてしまうし…)東京の教育の自由が奪われていくプロセスを教員の視点から話された。元教員、いいや、立派な先生だ、現役以上だ。
FNさんが私のチラシを最後まで参加者に配ってくれる。ありがとうございました。帰り東上線でTKさんと偶然隣り合わせた。彼はけんり総行動の終点、社文の国鉄集会に参加していたとのこと。金高さんが日本語学校の先生をしているお連れ合いについてモンゴルに行っている、あらうちの福井さんみたい…なんて話をしながら、チラシ配りの協力などなど、しっかり確約いただいた。
 4女が体調を崩している。急に冷え込んだのに、引っ越しの際、毛布を運んでいなかったのだ。明日運びますと掠れた声で電話口で言う。それで昨夜のうち夫が毛布を届けてやったのだ。ついでになにがしかの食料もいれておいたが…ほんとはもう帰ってこいと言いたい。でもありえないことなのだろう。今日、電話で「あったかかったです。これから病院に行ってきます」という。
 久しぶりに2女から電話。こちらは車の免許取得で山形で合宿している。2週間だかの予定だ。2時間の実習と2時間の座学、あとは自由で3食付きだという。仮免までなんとかいけたようだ。コンビニも遠いがあるのだが、それよりコンビニに行く気にもならず、あまりの規則正しさに痩せたと笑っている。彼女のバイクはもうさほど心配もしていないが、これから車にも乗るつもりかと思うと気がもめることである。
 長女はやたら資格をとろうとする。今トライしているのは簿記。さらに食育指導士とかなんとかいうもの。彼女のお勉強タイムに帰宅すると水道をひねるのも気がひけるというわけで。
 3女は相変わらず取材と原稿書きの毎日。休日も取材から帰って原稿を送らなくちゃというので私のノートパソコンはとっくに就職祝いになったのに、今度は会社に専用のパソコンがないんだもん、とのことで職場用にパソコンを買った。え〜っ!そりゃないんじゃない?業務用でしょう?といったが、みんなそれで我慢してるんだもんという。人が使っていると待たなきゃならないし、早く帰りたいし…というわけだ。入社して半年もたたないのに、まだ見習いの頃からやる気をもてだの、あたりまえじゃだめだ、気概をもてなどと一人前の面担を与えられ、取材にたたき出され、企画を受け持たされ、なんとかこなしている3女が、居間のソファでぐったりしている。朝までに書かなきゃいけないんだといいながら体がズズズーっと沈んでいく。もつのかいな。
◆9月14日(木)
 昨日の続きです。韓国のみなさんの歌を聴いていて、懐かしいような気分になる。いま日本の労働運動には歌はないもんな。それにしても一直線の歌でした。70年代はじめの韓国民主化のころの歌とはまたニュアンスが違うような。昨日紹介してくれたのは八〇年光州民主化抗争の中で亡くなったユン・サンウォン烈士と労働運動の中でなくなったパク・キスン烈士の霊魂結婚式をあげる中で作られたという。
 愛も名誉も名も残さずに/命かけようよ誓いは燃える/同志は倒れて旗のみなびく/やがて来る日までひるむことなく/時はゆくとも山河に響け/我らの叫びつくない威声/立ち上がれ友よかばねを超えて/いざ前に進まんかばねを超えて
 これは「イムのための行進曲」。この軽快な曲に振り付けが加わる。言葉の意味するものと曲想が私のなかでは一致しない。行進曲だからな、と無理矢理納得する。日本のかつての労働歌は唱歌の延長線上から出ていない気がするし、労働組合歌は童謡や校歌と似ていて、なんとかならないものかなと思うばかりだ。いずれにしても「歌で心を束ねる」のは無理というのがある。それでも、それをおして集会などでみんなが自然に口ずさむような歌は欲しい。現に歌で心を縛られようとしているのだから、それには対抗しなくちゃね。それから郷に入れば、だから、今度みなさんに会ったときにはしおりを見ずに一緒に歌いたいものだ、と思う。うむ、なんか煮え切らない文章だ。要するに、昨日の韓国の歌は少し今の私には距離があったけど、羨ましいと思ったということだろう。
◆9月13日(水)
 韓国山本労組を支援する会の結成集会。全水道会館の大会議室が満杯になり、韓国から来た山本労組員を包んだ。始めから話そう。韓国でまた一つの日系進出企業による廃業・解雇争議が起こった。また一つというのは一昨年韓国シチズン争議もまったく同様に、日系企業が都合のいいときに韓国に進出し、経営が悪化すると現地の労働者のことは省みず、一方的に工場閉鎖、海外移転していくというありようを目のあたりにしているからだ。株式会社韓国山本は、日本の株式会社山本製作所(板橋区に本社がある)の海外グループとして1973年、韓国の馬山自由貿易地域に設立された。主に時計の文字盤の生産をしてきたが、10年ほど前から経営難に陥り、今年7月3日に稼働停止に至った。労働組合は社長の辞任と雇用維持、工場再稼働を求めて労使交渉を行ってきたが、韓国山本のソ・ギルヨン社長は7月11日付けで社員の個人口座に退職慰労金を一方的に振り込んだまま行方をくらましてしまった。一方日本の山本本社は「韓国山本は外資企業ではあっても韓国法人だから当社は当事者ではない」と突っぱねている。7月から5回にわたって本社を訪問し、話し合いを求めているが会社正門のシャッターを閉ざしたまま。「責任者は不在、要求があれば、門越しに書面を受け取る」始末である。彼らもまた韓国シチズンの日本遠征闘争を見ている。つらく厳しいものだということを知っている。労働者の連帯、権利の拡大を掲げて粛々とやるしかないと思う。9月15日は2006けんり総行動として文字通り東京を縦貫する行動が行われる。朝8時45分のみずほ銀行本店から二手にわかれ、昭和シェル石油→フジテレビ と朝日新聞本社→(株)郡司 から国土交通省に合流し→霞ヶ関大行動(裁判所・厚労省への請願行動)。再度別れてNTT大手町(木下闘争)→有楽町総合法律事務所(学園再建・千代田労組)→教育情報研究所(丹羽良子さん解雇撤回支援)→東京都庁第二本庁舎(文京七中、東京学校ユニオンの解雇撤回)
もう一手は郵政KK(免職処分)→トヨタ本社(解雇・断交拒否/フィリピントヨタ労組支援など)→山本製作所(板橋・韓国山本を支援する会)→住友重機(アスベスト被害)をまわって、ともに鉄建公団に集まり→社会文化会館で「1047名解雇撤回集会」を開催する。
 板橋のみなさんは、是非韓国山本労組の遠征闘争にご支援を。3時15分頃ごろから45分頃までの間です。清水町、環七沿い、姥ガ橋の手前です。
◆9月12日(火)
 前野町のFさん来訪。ちょうどリーフのゲラを出力していたところで、「さらにご意見頂戴版」を20部、これから郵送する自分たちのニュースに入れてくれるという。OZさんとの電話で、一度それじゃねと切ってすぐまたかかってきて「あなたのチラシね、今度のことで報告書送るとき同封したいのよ、うちに100枚くらい送って」って。「もうじきリーフができるの」というと「いいのよ、それはそれでまたあちこち送ってあげるわよ」と。区外の方が応援してくれるってすごいことなんだな。政策発表会にむけた資料も早めに作って手渡ししていきたい。昨日まで蒸し暑くて額も汗ばんでいたのに、急に本格的に涼しくなってきた。
◆9月11日(月) NYテロ忌5th
 仕事帰りのTNさんと道でばったり出会う。知り合ってから4カ月以上、これまでよくもこのように出会えなかったものだ。お仕事たいへんそう。でも基本的に前を見ている方。ほんの少しだけど話せてよかった。今私が探しているのは、この、生来的に前向きの方たち。一時的に苦しいことを抱えていても、それをいくつもいくつも重ね抱えていようとも。
◆9月10日(日)
 かの家の二男に第三子が生まれたことでは話題にもすまいと思っていたが、あろうことか杉並区教育委員会は学校に国旗掲揚を通達したそうだ。でこの愚挙に対する杉並教組の抗議は、経過を説明されたい、長男の長女の時はこのようなことはなく、今回は何故?というもの。「オトコノオコサマ」というテレビニュースのアナウンス原稿もなにかいやらしい。自然分娩で生命の危険があったということでは帝王切開致し方ないが、手術の日はかなり前から決まった。予定通り子が胎内から取り出された、というのがなんともリアルで不気味で怖い。あの奥さんも可哀想。義理のお姉さんも無理して溌剌なんかしてなくていいから。余計なことか。
渾身の(!?)リーフレット、組み上がる。20日にもう一度、平民会議で確認。それでGO!です。
自分の仕事にゆっくり時間を使えたことがたいへん満足。入稿予定の膨大な機関誌が約1ヶ月先に延びたからで、それは今月末に「予防訴訟」が結審になるからで。
◆9月9日(土)
 板橋区への2007年度予算要求のベースをなんとか書き上げました。個別の地域要求の部分はみなさんのご協力をいただくこととして。(新社会党・かわむらひさことしての予算要求ですから、どなたにも見ていただきたいと思います。)汗だくです。この時期のこの湿度の高さ。おかしい。松山大学の大内裕和さんは北海道中標津、江別市でそれぞれ100名、540名という参加を得た集会で講演をされたことが北海道新聞(釧路・根室版)にカラー写真入りの記事で報じられた。記事のタイトルは「「格差社会を強める」 −松山大大内助教授 教育基本法改定語る」。「やはり教育基本法「改正」と格差社会との関係についての反響は大きいようです。」との大内氏のご感想。
◆9月8日(金)
 資本主義社会であることに変わりはないけど新自由主義という。この間新自由主義的政策の進行にはこの日記でも非を鳴らしてきたつもりだけど、極めつけは自治体におけるその進行でしょう。つまり、自治が危ない。学校の自治と自由どころではない。もう、もそもそしていないで、明確に訴えなければならないでしょう。それは「戦争協力をしない」という表現でいいのか。「住民自治の拡充で区政の未来を」という言い方がいいのか。悩んでいます。板橋区の基本構想を読んでいると非常に不安になります。
 明日ワールドピースナウ、明治公園で。私は他に会議がありますので参加できません。ABさんが全国連絡会のチラシを印刷したけどどうしようって電話下さる。ならばそちらはお願い!というわけで、私は他のところで配ってきますね。歩行の不自由なABさんの姿をちょっと思い浮かべました。ABさんは合唱にも熱心に誘ってくださるのです。
◆9月7日(木)
 板橋区の基本構想はプリントアウトしたら厚み2センチ近くにもなろうかというもの。これと、三鷹、豊島区などで制定をめざしている「自治基本条例」との根本的な違いは何かを考えている。私は頭が良くないので、こういうことは非常に時間がかかる。それと一人でやるのはかったるいので、板橋のみなさんに是非手伝って欲しいなあ。
◆9月6日(水)
 かわむらひさこと平民会議として作成するリーフレットの検討会。できるだけ早くから想いの一端が伝わるようにと春から使っていたものを改めて俎上に載せて叩いてもらう。結構総花的なことを言ったりしていて、みなさんの意見を聞いているとなるほどと反省することが多い。なんの取り柄もないがせめてきちんとした主張をさせ、納得のいく闘いをさせたい、そう思って下さるのがひしと伝わってくる。この間の活動のなかで得たものも遺漏なく反映させたものにしたい。言っている内容はさほど変わらなくても言い方は変わってくる。また全体の姿勢はデザインやレイアウトに現れてくる。よい議論をしていただいた。ただやはりネックは写真だろう。「あなたって普段もっとはつらつしてるわよ。なんで写真だとこうかしこまっちゃうの」「写真がよくない」「なんか変」これがおおかたの意見。リーフレットを開いたらビデオが見られるなんてことできないかしらね。どんな写真を撮ったって所詮静止しているからこれ、というものがない。いろんな場面を見てもらえれば…。でもそれって、いろいろな場で会えばいいんですよね。押すと何秒間かのメッセージを聞けるというのは何年も前に凸版だかが開発していますが。
◆9月5日(火)
 永年の付き合いとなった製本所がこれで仕事をやめると言う。これでというのは昨日頼んだ500冊ほどの製本の納品を指して。どうした!なぜ? 思うように仕事がまわってこないというのが最終的な理由なのだが、私のところのような細かい仕事も本当によく面倒を見てくれてこの人のお陰で成り立っていたようなものだった。会社の名前はご両親の名前から一文字づつとった。28歳で始めた。今40だから、私から見たらまだまだこれからじゃないか、機械などのリースは終わっているのか、いろいろ翻意を試みたが、「ここが疲れた」と胸を指していう。なんとかどこかで勤めてみるという。製本屋さんにもいろいろあるが、彼は機械をきちんと備えていて何でもこなしてくれた。私のように徹夜だのの綱渡りこそしないが、必ず予定どおりにあげてくれた。最終的な製本へたどり着くまでの様々な段階での日程のズレ、ミスを全部かぶって最後は間に合わせてくれていた。でも…直接的な引き金になったのは、やはりうちのせいかもしれない。先月の頭、膨大な部数のリーフレットの折りを頼んでいた。コート紙だし、ちいさな折り機ではこなせない。それに注文部数に対応して100枚の結束で1000枚の梱包にしてもらうなど、この間別のチラシにしても部数の多いものほど気をつかってこなしてくれていた。ところが、大台で印刷をかけてそのまま引き取る手筈になっていたのに、そこが折りまでやってしまったのだ。頼んでもいないのに。もちろんそれ一つではないかも知れない。でも予定していた仕事を浚われる気持ちはわかる。金額も半端ではないのだから。それにしても困った。私にしても26年この仕事をしていて、この製本所のおかげでやっと思いどおりの仕事になれたと確信を強めていたのだから。
 夜の会議の前段、国鉄闘争団から「連帯ロード」、「団結まつり」への賛同のオルグに音威子府の岩野さんと名寄の高橋さんがみえて、少し話をしてもらう。
◆9月4日(月)
 陸軍大将今村均のドキュメンタリーを図らずも見た。部隊を生還させようと農耕もし、食料を確保した。A級戦犯の東京裁判と並行して行われたBC級戦裁判で裁かれた。言いがかりに近いような罪状で部下が絞首刑にさせられていったことに耐えられず、自分をこそ裁けと主張した。自害するも未遂。この短い記録のタイトルは「責任」。
 主治医が、今年はいろいろな方と会うのですから、インフルエンザのワクチンを早めに接種しましょうと宣う。はあ、ありがとうございます。インフルエンザのワクチンはニワトリの卵から作りますから、卵アレルギーがあるとだめなんですよ。だいじょうぶです。ワクチンは売り切れごめんですけど、うちは大丈夫です、結構沢山仕入れますから…。女子医大で。
◆9月3日(日)
 名前を川村壽子と書く。最近では書体がありませんから、と新聞では名前を「寿子」にされることが多い。少し不愉快。「寿子」ではなぜか「としこ」と読まれることが多く、昔から文章を書くとき、歌をつくったときは「かわむらひさこ」としてきた。ひらがなだと全部丸っこい感じが好きである。小学生の時も漢字で記名するときは「壽」としていた。戸籍もこれである。親がよく一本線を省略したり、点を付け足したりしないで正しく届けてくれたものだと思う。なんでもひらがなでやっているので不用な詮索をされてきた。時には「選挙」用だから、漢字にしてくれた方がいいなどとも。ところがポスターでは漢字で表記している。天の邪鬼というのはつまらんところに拘るのだ。
 夫、杉並の防災訓練の取材に三女を伴なう。四女は日曜出勤。二女は明日から合宿での自動車免許取得講習に出かける。土日は長女も居らず、なんだか秋風も涼しく。
◆9月2日(土)
 毎月配布している『週刊新社会』号外(ヘチマの花号…事務所のヘチマは今年は咲かせることができないでいる)は、今回はいわゆるサポートシステム=「学校と警察の連携制度」、そしてオリンピックについて述べた。「教育基本法」改悪反対をどう噛み砕いて広げるか、が問われている。(と私は思っているが、今回は字ばっかりで、また「落選!」なんて書かれちゃうかな)
来月からは、おっ!というものに変えるからね!

 2003年の「武力攻撃事態法」成立につづき、「武力攻撃事態」=「日本有事」(日本が戦場となる戦時)、あるいはその「予測事態」(「攻撃があることが予測される」と政府が言った場合)に国民を備えさせるための「国民保護法」が制定された(中曽根首相の時代には「民間防衛」などという問題すら出せなかった)国民保護法の本質は1にも2にも国民の戦争協力であることははっきり防衛庁長官の答弁などからも明らかである。2003年までの一連の有事法制に対する反対運動の盛り上がりを思い出せば、不思議なほど運動は沈静し、すんなりとこれらの重要な法が決まっていった。2003年には統一自治体選挙があった。イラクの状況をみながら、有事法制が通ったら、日本はイラクに自衛隊を送ることになる、戦争に加担することになると思った。議会に陳情もした。区議選に立候補した。正月からささやかに選挙運動もした。3月20日に米軍の空爆が始まって、事実上の戦争状態になった。投票は4月。街で何を言われたか。「奥さん、考えすぎよ〜」だ。教育基本法改悪についてはこの頃からその危険性を街でも訴えるようになった。
 東京都の国民保護計画策定に続いて各区で、板橋区でもそうだが条例が成立し、協議会が出来たら議会は全く関与できないのだ。協議会オブザーバーの自衛隊の存在もある。計画を主導的に担うわけだ。重点が置かれるのは住民の「自主防衛組織」をつくることに置かれる。震災、自然災害への備えは戦災への備えと表裏一体だ。ここが何ともしがたい。自衛のための自主的訓練が狙いだからだ。
 東京都では2000年から、石原都知事の「三国人発言(地震などの大災害が起こった際には、第三国人が騒擾を起こす可能性があるので自衛隊諸君は頑張ってくれたまえ)」に基づいた『ビッグレスキュー』→『東京都総合防災訓練』を行なった。板橋区では、「区庁舎内でサリンが撒かれた」という想定で訓練が行なわれました。「天然痘ウイルスが撒かれた」という想定で図上訓練が行われたのは杉並ではなかったか。実際には役にたたないであろう自衛隊を最近はこれでもかと市民の目に触れさせる。

 自治体の協力が不可欠であるこの条例について、よくよくの議論をしてもらわなければならない。
◆9月1日(金)
 初の戦後生まれの、A級戦犯容疑者の孫、いうなればサラブレッド(サラブレッドに失礼か)の血筋の、北朝鮮による拉致事件やNHK番組改竄事件でのパフォーマンス以外の何の功績もないこの早口の人のどこに政権を任せる期待がもてよう。若いだけに、あっさり憲法、教育基本法が間違っていたと言ってはばからない。戦後の呪縛から解き放たれて新しい憲法を、と臆面もなく言ってしまう恐ろしさよ。安倍氏は今日「憲法改悪と教育改革」を政権公約に掲げ総裁選に立候補表明した。  
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