| 憲法手帳雑記 2007年1月 | |
| ◆1月31日(水) 新春号外の配布はそれぞれの都合でやっていただいてきたが、今週末が配布のピークになりそう。土曜日、何時に何人という連絡が次々に入り始める。 さて、前回の参議院選挙のときに、「イラク派兵をゆるさず、憲法改悪に反対する」共同候補づくりを始め、その主旨が今年の参院選に引きつがれるべく各地で折衝が続いていたわけだが、結局、共産党も社民党もそこにはなかなか難しいのだろう。(非常におだやかに言っています。もっとも) それは当然でもあろう。「社会党」をつぶすことに力を貸してきた人々が「新社会党」を力のない党だとけなすのは勝手だが、私自身が自らの党に属することを否定するようなことはしたくない。それぞれの持ち味が生かされるようなあり方を模索するのもたいへんなことである。しかし、それでも今はその声は少ないかもしれないが、護憲の共同候補づくりに期待を寄せる人々の力で確認団体「9条ネット」が設立されることになった。その理想にむけてぎりぎりのところの努力をしあおうというのだから、評価されるべきことだ、などと客観的に言っておらず、積極的に働きかけたいと思っている。みんなが自分の立っている場所から、同じことを見ようというのである。みんながそれぞれの場を捨てて、ここに来て、これを見ようというのではないのである。見ようというものはただひとつ「戦争をできる国」にはしない=憲法を改悪させない、ということである。憲法改悪のためのいかなる法案にも「反対票」を投ずる議員を国会へ送ろうということである。明日から、はや、如月。時間がない。 |
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| ◆1月30日(火) 午前中増田さんと土野さんが来てくださる。増田さんの愛媛行きの飛行機乗り遅れ話を蒸し返していると土野さんは「なんだそんなこと、あなたのことだから、間違った会場いって演説してきたのかと思ったわよ、空気読めない人だから」と。うん、ありえる。 私も今日は大失態だった。昨日のみんなで訂正したのは曜日。もちろん会場は料金も払ったつもりになっていた。実は日程を変更する前の料金は払っていてから、キャンセルをして本予約しなおすだけのつもりでいた。でも会場の仮予約が思っていた一日前、つまり昨日解除されていたのだ。朝一番で窓口に行くと他の団体が入っている。青ざめた。えっ!どうする?もう他も塞がっている。通信どうする?ちがう、会場が先、取らなきゃ…、なんとかしなくちゃ…たって、うわあ、どうしよう。みなさん相談しようにもお仕事中だし…。増田さんの絶体絶命気分がわかるような気がする。(引き合いに出すな!ですね)結局、職員の方も親身になってくれて、だけど彼は同じグリーンならキャンセル料なしでそのまま移行できることを重んじていて、しばらくして文化会館の方でひとまわり大きい会場が空いているのがわかった。グリーンと文化会館では管理主体が違うわけだ。不合理な話だ。だからその彼は最後まで、キャンセル料が発生することに拘って、翌日なら2階のホールが空いてる、前の日なら1階のホールが空いているのにねえなど言ってくれるのだった。借りられたのは2週間後に私の「音楽夜話・春一番コンサート」をやる会場だ。参った。こんな広い場所になっちゃった分、一生懸命お誘いしなくては。それで通信は場所が変更になったことは反映されていないのです。次の号で訂正しお詫びさせていただきます。 |
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| ◆1月29日(月) 通信に私のチョンボで(日)とすべきところ(土)と入れたままだった。これは集会の日時が諸事情で一日ずれたから。とまあ、間違った理由だ、偉そうに言うことではないが。封筒にいれるので三つ折してからやっぱり修正しよう、となって15人であっという間にボールペンで直して、袋詰めと封が済む。4時から始めて7時半には会議もおわり、近所の和民に繰り出す。福井氏は長春で映した写真をごっそり持参。日本語学校での話に花が咲く。でも、最後は「予防訴訟の判決をどう生かすんだ!」になった。 |
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| ◆1月28日(日) 韓国山本労組遠征団の3人来訪。土松さんが通訳、思ったよりすごかった。私は前の晩せめてもの準備で自己紹介だけは韓国語でやらなくちゃと練習した。単語帳を見ていると楽しくていろいろな単語を発音しているうち、肝心の「こんにちは、私はかわむらひさこです」さえつっかえてしまうのだったが、今日はそれだけはちゃんと言えた。特に女性の方々は子どもさんと離れて来ている。子どもの話題になるとやっぱり和んだ表情になる。2月のあちらでのお正月でみなさん一度帰るのだが、そのあとはいろいろな場面でご一緒することになる。山本製作所はここから自転車で7〜8分だろうか。環七で一直線ではある。ここから清水町まで試しに歩いて行ってみますという彼らを環七まで送る。明日は朝から女子医大、午後歯医者。おぞましい。でも夕方からは懐かしい人たちに会える。 |
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| ◆1月27日(土) 近所の奥さんとは昨日のような話をよくする。駅に近いから駅前の自転車のことは本当になんとかしてなんていわれる。これもまた実にひどい。駐輪場に入れるのは面倒なのだろう。ときわ台の南側は自転車やごみや騒音が溢れかえっている。それにしてもこの街に限らず盛んに古い家屋が新しい高層のマンションなどに建て変わろうとしている。方丈記なんかを思い出してしまう。時に探し訪ねた人の家がすでになかったときなんか…。私も板橋に住んでもう35年になるのだなあ。 |
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| ◆1月26日(金) 職場の門のすぐ脇がごみの収集所なのです。昨秋カラスの出現で、あたり一面目を覆う惨状。それでお隣のお医者さんの奥さんが清掃事務所に言って保護網をもらった。ごみの日の朝奥さんがごみに網をかけてくれる。で私は収集車が来たら、ちょこちょこと掃除をして網をお隣の敷地内に畳んで戻しておく。毎回結わえ付けるのご苦労かな、と悩んだりするが、たまに電信柱にくくりつけたままの汚くなった網を見るから、やっぱりきれいに使いたいなと思う。集積所であればこそ、きれいにしていたい。先週、どこかのばか者が引越しで出たごみを分別もせずに積み重ねていった。1週間たって、最後のガス台がルール違反の赤紙を貼られた。これは粗大ごみで出せとのこと。シールを貼れと言われても困るし、電話して頼むのも悔しいけど、しょうがない、「うちのじゃないんですけど…」と電話する。近くにパチンコやさんがあるから、へいがあれば平気で自転車やバイクをとめていく。反対のお隣なんて、出入り口だろうがなんだろうがバイクが当然のようにとめられている。注意書きなんてなんの役にも立たない。お花の植え込みだってタバコの吸殻を突っ込んでいくやつがいる、なにやらの飲料のパックや空き缶をブロック塀の上においていくやつ、自転車のかごをごみばこだと思っているやつ。「だめじゃないの」と軽く言えるような相手でないところが結構怖い。どこかの自動車がエンジンをかけっぱなしにしていると、家の中にいてその低音ずっと続くのは非常な苦痛である。パチンコやさんや携帯のショップの宣伝も途絶えないからこれも実に苦痛である。住むだけでも結構いろいろ我慢しているものだ。 |
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| ◆1月25日(木) 新社会党の新春のつどい。福士さんが、今回は「川田龍平を応援する会」の代表として挨拶する。予定候補の紹介の時、M氏、すっと腕を差し出してエスコートしてくれる。まあ、地域にあっては一人駅頭で寒風にさらされている私でも、身内の集会じゃそんな晴れがましい場面もあるわな。 さて、3月31日は「第3回かわむらひさこの音楽夜話−3・31春一番コンサート」としたいと考えています。どうぞ、他の予定を入れないでくださいね。おいでになってくださいね! |
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| ◆1月24日(水) 帰宅時間が日に日に遅くなっているが、このところ、家事全般を任せている次女の料理のレパートリーも増え、家計もしっかりやってくれているので、私はただの働き蜂でよくなった。余りに遅いと娘たちは自室に引き上げており、つまらないったらありゃしないのだが、11時ぐらいなら居間にいる。それで娘の給仕で夕食をし、終わればソファに座っている次女の前にでーんと座る。きわめて自然ななりゆきで、肩をさすってくれ始める。自然でないときもある。その時は奥の手で、しきりに首をかしげてみたりする。この娘が加賀乙彦さんの『永遠の都』を読み出した。「よくおかあさんが昔は親戚同士を「清水町」とか「芝」とか「双葉町」とか「伊皿子」とかって町の名前で呼んでたっていうのわかったわ」と、とりあえずの感想。そういえば両親の口癖は「芝のおにいさん」だった。父は「芝」の叔父さんと一緒に働いていたから。私の一家は港区芝伊皿子に住んでいたが、板橋の双葉町に祖父母がいた。近所には親戚も多い。娘の嫁した先は相手の家「米山」に行く…、「永井」では…などどいい、息子が所帯を持つと「芝」「伊皿子」「清水町」「茅ヶ崎」と町の名前が息子一家を指すし、家長を指すことになる。「芝」はこういう意見だ、「伊皿子」が来た…などなど。嫁の立場ではどうか、母や叔母さんたちは「たか子」が「澄江」が「恵美子」が、と地名も苗字も関係なく単独で名前だけ呼ばれていたように思う。子どもたちもみっちゃん、ちゃこさん、ゆきこちゃん、まもちゃん、ちあきちゃん、ちかちゃん、えりちゃん…などなど。みんなもう50〜60代だけど、会えば「ちゃこさん!」だ。そういえば私だけ「ちゃん」でなく「さん」だったな。なんでだろう。 |
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| ◆1月23日(火) そのまんま東さんの宮崎県知事当選で、当選直後は笑顔で県民の意志を分析してみせたマスコミが、いったん知事の椅子に座れば、野党となった議会の側にたってきびしく突き放した報道になっていく。自民党の議員が「笑いで票とっても…」と知った風なことを言っていたが、なさけないねえ。民意というものをもっと襟を正して受け止めていただかねば。それにしても、鳥インフルエンザ禍に見舞われるなど、就任早々ご苦労なことだと思う。東国原英夫さんというのだっけ。「そのまんま東」さんは別に好きでも嫌いでもない人だったが。 今日、区教委に申し入れ。 |
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| ◆1月22日(月) 「春一番、今度こそ今度こそ、暮らしに花咲かす春をつれて来い」−昔の音楽仲間新潟の今村一男さんの歌「春一番」の繰り返しのフレーズ。 |
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| ◆1月21日(日) 「知ってますよお、あの自転車屋さんがあったとこの事務所でしょ」なんて言われたときの嬉しさ。だからなにってこともないんだけどね。署名に応じてもらえたときの美しい筆跡、個性的な筆跡はいつも何ともいえません。やだ、筆跡フェチ。ンなばかな。 |
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| ◆1月20日(土) 韓国山本労組遠征団のことで数件の不動産屋さんや在日韓国人の方にお話を聞いていただく。(山本製作所の所在地は板橋清水町)夜8時に原稿受け取りの予定が先方の都合で11時になる。もう一度電話があったら、もう明日にしましょうと言うところ、果たして電話が鳴る。が、電車が事故で遅れているので15分ぐらい遅れるというもの。池袋周辺で遅くまでやっている喫茶店があるかな、ま、改札でもいいやと出かけたが西口の「トラベル・カフェ」というお店が金・土は深夜1時半まで営業、案外に落ち着いた雰囲気のお店だった。それで、かの編集者氏のお連れ合いのご病気の療養状況などもうかがいながら、いつのまにかまたお仕事モードに切り替わるのを感じる。というより、自分のこのたびのことでは、プロセスや製本関連でお世話になっている業者さんばかりでなく、お得意さまにも随分ご迷惑かつご心配をおかけし、ありがたく申し訳なく思うばかりである。 |
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| ◆1月19日(金) 音楽業界の話。(東京新聞の「大波小波」の受け売りですが)東芝EMIもご他聞に漏れずリストラが製作部門でも進行しているとのこと。音楽製作に関わるものがどんどん独立した下請け業者化していくわけだ。目を引いたのは、ビートルズのレット・イット・ビーは空前の売り上げでその後の東芝EMIの発展の端緒を開いたとも言えるらしいが、なんと、全世界中で東芝だけが(コピー防止)のガードをかけたのですって。すぐれた芸術文化の伝播の使命なんのその、なのであろう。 教育再生会議の報告出される。「ゆとり」→一割程度授業を増やす。ただ教員給与がネック。「教科書」→もっと厚くする。「体罰」→OK。「いじめた側」の子の出席停止。「犯罪」→警察との連携。「ボランティア」→高校での必修。教員免許更新の厳格化…などが際立つ。「これが本当に実施されれば、日本の教育は大きく変わります!」と和民の社長氏晴れやかな笑顔でカメラの前で胸を張る。年末には「議論の中身が骨抜きにされている」と紛糾したが、とりあえずは全部言いたいことは言ったぞということだろう。「個人の尊厳」の視点、「真理と平和を希求する」姿勢、「普遍的な、個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育の理念がこのようにして削り取られてはならないと思う。それにしてもつくづく「子ども・生徒」不在の論議であることよ。テレビで映し出される面々、偉そうな肩書きだけど、なんだ、みんな「日本会議」のメンバーじゃないか。教育関連のニュースはパワー・トゥ・ザ・ピープルの方を見てください。いつも最新情報と資料満載サイトです。 |
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| ◆1月18日(木) 昨夜は思いつきで巣鴨にある四女の家に行った。人気のない道を通りながら、20代の自分になっているのに気づいた。ただ、自分の20代にはほうれんそうのおひたしを届けにくる親はなかったが。自宅の中板橋を下車したとき、終電一本前のその電車から降り立った群れのほとんどが若い層であることに気がついた。今日下版した月刊誌の原稿に「ワーキングプア-現代日本の格差と貧困」の一稿あり。若い人たちは格差とか貧困とかと結びつけて自らの選んだ働きさまをあれこれ言われたくないと思っているだろうか。きちんと取り上げて欲しいと思っているのではないだろうか。娘から「美味しかった!」のメール。「体が要求していたのだよ」と返す。ついでに「駅立ちは深夜バージョンというのを追加しようと思います」と書き送った。 |
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| ◆1月17日(水) 12年目の阪神淡路震災忌。各地で対震災非難訓練あり。昨夜のニュース23ではゴア氏を招いての環境問題のティーチ・イン。地球温暖化で100年後には約7℃の上昇とのシュミレーションがある。年々進行する暖冬傾向、竜巻や冬の台風のような嵐、突発的な地震だけでなく日常的に異常さを見せている自然環境に対し、全世界が本当に目をむけ、一国だけの問題としてではなく、改善の取組みのために手をつながなくては。 |
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| ◆1月16日(火) 会議の後、かわむら事務所の新年会となった。わたしはとても楽しかった! |
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| ◆1月15日(月) 今年の「日の丸・君が代」板橋のつどい実では、過去2年間、卒・入業式シーズンにむけ、申し入れや集会を行ってきたことを踏まえ、改めて、教育基本法の改悪の下で、どのように変わっていくのか、実態はどうなのか、をもっと各自がきちんと勉強していこうという方向性である。 それで第二回の準備会の昨日は現職の小学校教員の方のお話にみなで聴き入った。 |
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| ◆1月14日(日) 夜、『写楽殺人事件』で一躍ミステリー作家として名を馳せた高橋克彦氏(浮世絵の研究者だった)『倫敦暗殺塔』のつづきを読む。明治18年(鹿鳴館時代)にロンドンで「日本村」の興行があり、空前の日本ブームが沸き起こっていたという史実からこの話が始まる。あらすじは書けないが、国内では列強に馬鹿にされぬよう国力を見せ付けようとした明治の新政府の様子がいままでにない側面から縷々語られているのは面白かった。石原都知事が東京オリンピックで夢みるのだって、根っこはそこだから。まずまずさもしいったら。 明日、「日の丸・君が代」強制反対! 板橋のつどいの実行委員会。それから怖い歯医者さん。憂鬱です。 |
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| ◆1月13日(土) 年末のつどいが「心つよき者」たちの集まりであったなら、今日のは「心やさしき者」たちのそれ。新年会のメニューはニョッキや根津さんとこのみかん園のみかんや、息子の成人祝いの赤飯や、血圧が高いお連れ合いのための野菜スープやしょうが寒天などなど。会のメンバーの一人が長い間買っていた猫が昨夜家出し、夜っぴて探し回るも帰らず、疲れ果てて欠席のアクシデントもあったが…。いつもは私は運び屋で、とおっしゃるその方のお連れ合いがゆっくりしておられた。T子さんは「ネクスト ステーション イズ ワカマツカワダ…」だの「イイダバシ」だの大江戸ラインの駅名の連発だった。大江戸線に乗るのがすきなのだという。5時に会館のチャイムが鳴ると即、とても嬉しそうに体を動かす。それはほとんど独立したチャイムのためのダンスのようであった。間ができると私に「大江戸線どこよ」と聞く。「どこが好きか」と聞いているんだろうか、「どこを知ってるか」と聞いているんだろうか、付き添いのヘルパーさんに救いをもとめるように見るが…。「おばさん、若松河田と都庁前しか知らないんだよ」というと「都庁前」もとても好きな駅らしくまた「ネクスト ステーション イズ…」を繰り返す。D君はお正月に東京駅の丸善に行ったそうだ。そういえば私のバックの中に丸善の「夏目漱石が愛用した原稿用紙」を模したメモ用紙があったのに、その話題の時は忘れていた。 午前中から、Fさんも手伝って下さっての号外の発送作業、この会には遅れての参加。夜はその「イイダバシ」で新春講演会に行くので慌しく中座させていただいた。あのチャイムの後もゆっくり時間が流れたに違いない。帰宅して、何人かに礼状を出す。 |
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| ◆1月12日(金) 仕事帰りのOさんから署名用紙を預かる予定。 さて、今日の夜は大事なイベントがあります。あの川田龍平さんが参院選に立候補の表明で「07チーム龍平」の誕生日というわけです。「平和への結集」を合言葉にそれぞれ力を出し合う、それは理想ではあっても、なかなか現状の政党政治の中で難しいものがあるようです。私の基本的な姿勢は昨年からこの雑記でも明らかにしているとおりです。世の中何とかしなくてはならないから悩むわけで、新しい若い仲間がチャレンジすることはとても喜ばしいことだと思っています。特に龍平さんはHIV薬害訴訟原告団の一人として、また現在は人権アクティビスドとしてますますご活躍です。強者の闊歩する今の社会で、若い人の気持ちもしっかり代弁する人であろうと期待できます。いろんなねじれ現象も散見しますが、政治決戦の年といわれます。夏の参院選は平和・護憲勢力にとって最高の顔ぶれで臨みたいものです。それぞれの地域のたたかいが無にならぬよう、切望しています。どうぞ、財界、マスコミの演出するなんとか劇場には二度とご入場なされるな。この話題はまた折を見て。 都本部委員長の江原氏が、今日、高島平付近でかわむらひさこの宣伝をして下さったとのこと。時節柄、東奔西走で超ご多忙な方である。車を引き取りに行ったついでの、ちょっとの間も惜しんで。ありがとうございました。 |
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| ◆1月11日(木) 板橋の「国民保護計画」への申し入れが明日。夜遅く、KbさんからFAXが入っていました。これまで見直しを重ねた文章の再確認。ごくろうさまです。 |
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| ◆1月10日(水) 2〜3日前に始めてお会いした方から葉書をいただく。そういえばこういう新しい出会いが昨年もまた多くあったが、その時々の感動を忘れず、誠実にありたいと改めて思いました。 なお、リバースモーゲージについては、私の考えは浅かったと反省しています。新しい施策というものに対してはまず疑ってかからねばならないということが身に染みました。 |
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| ◆1月9日(火) 発送作業は2日間にわたってやる。それで集まってくれた方々にゲラを見せると、板橋区史のとこしか読んでない、とか字が多いとか、アイキャッチが弱いとか、なことばかり言われる。でもねえ、これでずーっとやってきたんだよねえ、なんて「やずや」のCMみたいなことをいい(一応は抵抗するが)、しかし帯封に宛名シールを貼りおわってから仕事場に戻り、そのぱっと見の部分の改善を試みる。写真を大きくする。段間を少し広げる。コラム枠の回り込みを0・5ミリでも広げてみる。区史のコラムはやはり写真を入れよう。だから文章を少し削る。ほらぁ、また夜中になっちゃったよ。 |
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| ◆1月8日(月) 休み明けにみなで発送する週刊新社会の新春号外の製作にかかる。これはやらなくっちゃと思ってもできるものではなく、機が熟せばA3両面の新聞が一気にできることになる。それで 今回も印刷寸前のところまではできた。やっぱり教育特集になった。機が熟するというのは、要するに明日の今日にならないとだめということで、他の団体のみなさんにもご迷惑をかけつづけている。でも、日照時間で植物をだますごとく、締め切りを早くすれば解決されるかというと本当の必要日を知っているので、そうならない。だが、出来上がり日は絶対に守る(なに威張ってるんだ)。帰宅して次女に読んでもらうと、藤田集会の案内が小説みたいだね、と。学校選択制のコラムはとてもよくわかります、とのこと。 |
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| ◆1月7日(日) 昼間のなにがしかのストレスを追い出すように、夜中は、仕事をしながらビデオを見る。 例年は「忠臣蔵」か「赤穂浪士」だったが、なんだ、今年は換骨奪胎の奥方の陰謀ばなしになってしまった。昔、泉岳寺が遊び場だった。刷り込まれている、と家族に言われるが、そうではない。大仏次郎の「赤穂浪士」の文体が好きなだけだ。昨晩、遅くなってから、録画しておいてくれた「白虎隊」をみる。なんじゃ、こりゃ…。美しく死ぬために、美しい生き方をしなければなりませぬ!? 少年たちを戦に追いやったもの−忠君愛国の支離滅裂さがいかんなく露呈した幕末から明治初頭の悲劇。これが繰り返されようとしている。脚本は内館牧子。出演はカツーン(だかコツーンだか?)など、少年たちに人気のグループ。完全にストレスがたまった。 ところで年末にネットでピアノピースを購入した「砂の器」のDVDを貸してくださる方があり、一昨夜は丹波哲郎主演のそれをあらためて見た。犯罪の背景を解きほぐしていく過程で流れる曲「宿命」は、いささか情調にすぎるが、しかし水辺に幼い日の犯人が作ってはうちよせる波に壊されていく砂の器は、非情な社会ともろい心を表したかったのだろうか。 生きる目標というものを、おさない時から手取り足取り教えてやるには、先の「忠君愛国」はまことに簡単。人間をあらゆる段階で管理するに好都合な思想である。戦後はそれが忌避されたはいいが、親自身が目標を見失っていると権力者たちはほざき、家庭にまで介入しようとしている。その文化面でのお先棒かつぎがドラマの脚本家だったりするわけだ。日本では社会の未熟さ、非情さ、無関心さを解決していく成熟した政治のとりくみはまだまだ成立しないのが現状である。彼らは自らの政治にしばりをかける「憲法」がうざくてたまらない。みなさんだって、いろいろにお感じでしょう。力を合わせてカツーンと「主権」というものを見せつけてやりましょう! …今日はこんな趣旨のことを街中で話してきました。ちょっとうざいおばさんだったかも。 |
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| ◆1月6日(土) 決起集会っていうのが悩みのたねだ。この気持ちをわかってくれる人いるかなあ。今年最初のポツリぼやきでした。冷えます。昨年春から、可愛い従業員がいたのですが、新年から仕事のやり方を変えてもらうことになりました。私のいない仕事場で一人で仕事をこなすのは限界があるし、私も娘が一人でいることだけで心配だし。春先までまとまった入力だけのお仕事を自宅でやってもらうことにしました。それでダンボールに原稿をつめて、ついでに餅やらクッキーの缶やらをつめて宅急便で送りました。一人暮らしを始めた娘と一緒に働くということは得がたい喜びでした。いろいろ教えたつもりだが、結局このまま別の方面で自立してしまうかも知れない、そんなおかしな不安に似た気持ちもあるのですが…。そうなればなったで、私にしてからがどうなるかわからないのであって…。ただいまと事務所に戻っても、うるさい音楽は聞こえてこない。娘のことはちょっとさびしい「心」の支度でもあるのです。 |
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| ◆1月5日(金) そろそろ仕事上の連絡も頻繁になる。携帯にボイスワープしているが、ドライブモードにしたまま動き回っていて、23件もたまっていた。なんかいい方法ないかなあ。 新年早々、弟が姉を惨殺したのニュース。「夢のない人だ」と言われて。親たちの不在の自宅での出来事だという…。 池袋のジュンク堂から連絡あり。1月22日から池袋店4階で「季刊『前夜』10号記念−いま天皇制を問いなおす本」フェアを開催するとのこと。『不服従−それぞれの思い』を扱いたいということである。 |
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| ◆1月4日(木) 年末にドカンと送られたダンボール1箱分の原稿を恐る恐る確認してみる。封筒一通に1年分の原稿が入っている。1987年から2006年までの20年間分のある地方の労働運動史である。これを間違いなく、きちんとやるためには……ああ、もすこし丁寧に仕事場の片付けをしておくべきであった。 昼間は暖かく、新年早々の外回りも心愉しいものあり。 |
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| ◆1月3日(水) 10時には出ようと言っていたのに、私がぐだぐだして午後から車で区内の街宣に。昨年秋から駅頭より、街中でお話させていただくことが多くなりました。すると「たすきをしないとだめじゃない」と言っていただくことがあります。どんなにいいこと言っていても誰だか一発でわからなきゃ、とおっしゃるのです。それで、新年からは、と年末にせっせとたすきを縫いました。 とある病院の前で手をあげて、車をさえぎる人がありました。お身内が救急で入院されたのだそうですが、自分が朝病院に行くと面会時間ではない、と入れてくれないのだ、と怒っているのです。ちゃんと要員がいないと不満を言われるのです。調べてくれと。その方は某業界では名の売れている人だとか、父に会わせるからとにかく来てくれ…などと話す間にもお酒の匂いがプンプンします。あまり頭にきたから酒を飲んだのだというのです。でも、どうやら、私の車の新社会党の文字を「民主党」か「自民党」とお間違えになったらしい。最後はいや何党でもいいんだ、みんなの問題でしょうとおっしゃる。病院にはナースも忙しそうに何人も立ち働いていらっしゃる。何も問題は表面上はわかりません。後でお話をしてみましょうと別れました。日本人がお酒を飲んで居ないときでも怒ることができたら…などと思ったのでした。ちょっと想像するだに恐ろしいことですがね。 ポスターの張替えをしながら辻立ちでお話しました。約5分づつ。何箇所かでやっているうちについ別のことを言いたくなります。そうすると話が長くなり、あまり良くないようです。板橋では私は(昔)高田なほ子さんにとても可愛がっていただきました。もう退職されて何年もたったころからのおつきあいでした。この方が始めて国会議員になられ、社会党の婦人局長になられたころのお話をよく聞きました。やはり教員のご出身でした。その頃は今のようにマイクもなく 肉声で辻辻でお話されたのですから、大変なことです。また、元都議会議員の菅原宗一さんは私が生まれた年に初めて板橋区議選に出ていますが、リヤカーをひいての選挙運動だったとか。毎週火曜日に必ず駅にたち「火曜日の男」と呼ばれたNさんの話とか、いろいろ記憶にありますが、私もできることは何でもやりながら、あたりまえの人らしいくらしのために闘う用意のあることを多くの人に知ってもらえるよう、力を尽くして行きたいと改めて念じた一日でした。 |
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| ◆1月2日(火) 例年と変わらず、身内の新年の顔合わせです。姪や娘らと百人一首に興じました。母が元気でいてくれるのが、何よりの我が家にとってのしあわせです。 |
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| ◆1月1日(月) あけましておめでとうございます。 板橋区政−(マイナス)競争、格差、貧困+(プラス)ひさこ。などというしょうもないフレーズを思いつきながら朝、眠りについたので、何もしないうちにすぐ夜になりました。 事務所の入り口の「ご自由にお持ち帰りください」の箱にいっぱいフリーペーパーの短編小説を入れておいたのですが、一晩できれいになりました。嬉しかったです。 今年もよろしくおねがいします。 |
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