憲法手帳雑記 2007年5月
◆5月31日(木)
 ニュースに世田谷の菅原和之さんが映っていてびっくりした。区を相手取った婚外子差別訴訟で地裁で勝訴したとのこと。おめでとう!菅原さんはギターもうまい人だ。
 あっという間の月末。原稿が洪水の状態。身を入れて仕事をしろということだろう。
◆5月30日(水)
 9条ネット はついに候補者10名となった。それで、本当は昨日書いておこうと思っていたのに、忘れている。月曜日のせっかくの記者会見が、松岡氏の自殺でぶっ飛んでしまったようだ。天木直人さんの立候補で9条ネットの存在が浮上するのであれば、ありがたいことである。ZAKIさんが京都のH氏と友達だったというのでやはり巡り会うべき人は会うものなのだよ、Hさんがメールで参院選頑張りましょうって言ってきてくれたよ、と娘に話していると、「『私はあなただ、あなたは私だ』って何でしょう」と娘がいう。「ふん、天木さんのブログだろうが」と言ってやる。S氏が来訪。この間の川越のお土産のお返しに京都の和菓子のお土産をお母上にと用意しておいたのが早くお渡しできてよかった。ひとしきり、9条ネットのあり方でご意見を拝聴する。
夕方から雨。
◆5月29日(火)
 昨夜帰りの車に長女が「松岡大臣が自殺」と電話してきた。今日は緑機構の幹部が自殺。こうなりゃ内閣といわず国会議員は戦々恐々であろう。彼らがまともであれば。政治の場面で繰り広げられるこうした「口ふさぎ」のやり口は政治への期待をことごとく失わせるものだ。公正さや自浄能力のなさをさらけだすものだ。現役閣僚の自殺まで出したのだ、総辞職すべきであろう。新聞は内閣支持率34.何パーセントとかに下がったと書きたてている。じゃ、何パーセントまで許されるというのだ。社会保険庁の問題といい、教育基本法問題といい、憲法の法的限界を超える改正手続き法といい、出鱈目ばかりじゃないか。世の中をここまでおもいきり暗くした責任を、即刻、負うべきである。
◆5月26日(土)〜28日(月)
 今回の京都集会には家族全員で行く予定だったが、直前に長女(現在、巣作りに励み出している)が仕事を休めなくなり、3女は盛岡への出張が入り、4人での参加になった。27日が集会、前日の交流会から参加した。40名ということだったが、ふたをあけたら80名。翌日も600名の会場に750名という熱気の溢れるものとなった。交流会では改悪教育基本法の具体化の現状について、つぶさな分析が各地から出された。第二部では大内裕和氏(松山大学)の提起を受けての討議となった。私も選挙の報告をさせていただいた。焼肉屋さんでの交流会はパスして、家族でお世話になるHご夫妻のお宅に移動する。お母さんのお名前から有の字をもらった女の子が2人、お父さんのお名前から慶の字をもらった男の子が5人、子育て真っ最中、まあてんやわんやのその真っ只中に迎え入れてもらって、子どもたちの話を楽しく聞きながらHさんが腕を振るったイタリアンの夕食をいただく。さすがに我が家の娘が言う。「おかあさん、いつからHさんと友達になったの?」「一週間前。でも昔から知っていたような気がする」。子どもらも親らもお互いに共感するところが多かった。それは互いの子どもたちを見ているとわかるのというもの。少し離れた別宅を4人で使わせてもらい、朝、すでに子どもたちはおかあさんと礼拝に出かけたところにH氏が炊いてくれた朝がゆ…。家族の名前を改めて書いてもらい、それじゃ、後で会場でとあいさつを交わす。早朝の銀閣寺に寄ってから「みやこメッセ」に。全国集会の報告は別途。デモは会場から平安神宮を通り、鴨川を渡って四条川原町まで商店街を進み、伊吹大臣の事務所の先で解散。デモの前にやっと園田さんに巡り会えた。「来るって聞いてたからメールしようと思ったけど遅かった、受付にいたのよ」。会場が広かったから受付もいくつもあったのだ。私はくれば絶対会えると思ってた。大阪のかっしゃんこと柏本さんらの一団も。デモの先頭には大内氏、小森氏、三宅氏、根津さん、河原井さんが横断幕をもち、東京をはじめ全国からの参加者が続き、京都はしんがりをつとめる。その京都の一群、リヤカーにくみ上げたやぐらを引きながら、音を出し、踊りを踊りながらのとてもにぎやかなパレードを繰り広げていた。蒔田さんを中心とするメンバーの熱い気持が十分に伝わってきた。祇園さんの通りは人通りがすごくて、東京でいえば休日の数寄屋橋交差点ぐらいだろうか、反応がものすごくよかった。
◆5月25日(金)
 雨。月刊誌の発送日。先方の事務所の方々も出張されての作業となる。110号だから、110回みんなでやってきたことになる。事務所は、ドア一枚で段差もないから、土足では泥水の足跡がフロアにつくことになる。朝のうちに娘にお客さんにサンダルに履き替えてもらって、と指示するが、そのサンダルが人数分なかった。編集長さんに買っておいでと、領収書をもらってきてと言われて、娘、100均で買ってきたという。まあ、順当といったところだろう。発送後、明日からの京都行きでつかう車で、最後の古い事務所からの残紙類の包みなどを夫にどさっと運んでもらう。ついたてや和室で使用していた座卓や骨董品のような衝立類を自宅に運び、自宅から頑丈な木製の本棚をもう一つもってきたから、こちらの事務所も、古い借家も、自宅もほとんど空き巣荒らしにあったかのような惨状である。それらを一つひとつ丹念に片付ける。それで、これから帰宅して自室を片付けて、早朝、たたき起こされて、続きは車の中で眠って、起こされれば京都なのだろうと思っている。雨は西からあがってきているというから、京都はまぶしいほどの新緑に迎えられるだろう。いやいや、今回は、そのような京都が目当てなのではない。まぶしいような仲間たちに会いに行くのだ。
◆5月24日(木)
 この期に及んで、第一回の、ということ自体に驚いてしまうのだが、それでも、ほとんどの方が、一候補者のことだけではなく、確認団体として全国のことを考えながら作業をしてきたのだから、やっと東京的な動きができる段階まで漕ぎ着けたことを喜ばなくては! それでも、本当に多様な考え方の人々から、思い思いの意見が出されると、こりゃ大変だなあ、と、ため息が出そうになるところで、隣に座っていた娘「それじゃ、結局バラバラじゃありませんか?!」と発言する。しかも、おお、説得口調なのである。実は、「9条ネット・板橋の事務局を、お前が実質的にやってくださいよ」と話をして、「ビョエ〜!」とか言うのを世話人会に引っ張ってきたのである。大正解!だ。帰り道、Kさんの発言がかっこよかったという。Kさん曰く「私たちはこれから、チラシを配り、カンパだってお願いしてまわらなくてはならない。ポスターもどうやって貼りきるか手立てを考えなければならない。そうやって私たちが動かなくてはいけないんです。実質的なことをどんどん決めましょう」。全く。中野駅に降り立った時刻には川田選対が駅頭宣伝。ていねいにチラシを配っているTさんと会う。
 今日、都教委定例会で「君が代」不起立での処分発令。内訳は、都立高校で不起立1回目2名・2回目2名・3回目2名、計6名。障害児学校で不起立1回目1名。計7名。本日の教育委員会終了後、不起立の人には相次いで、校長から発令呼び出しの時間・場所が連絡されているとの知らせあり。
◆5月23日(水)
 週末の京都集会では、現地の方に、集会以外の面でも何かとお世話になる。車のことやスケジュール管理は娘達がやってくれるので、誠にありがたいというか夢のようである。「濃密な交流会…」と昨夜電話で話したH氏が早速住所などをメールで送って下さった。昨日書いたS氏は今日で3日続けておいでになったわけだが、今日は、私は不在だった。昨日の雑談のなかで気がついたことを、とメモ書きして残して下さる。陽光がいっぱいに事務所にさしこみ、だんだんこの場所に愛着が湧いてくる。
夜、9条ネット・東京の世話人会。
◆5月22日(火)
 渋谷区にお住まいのS氏は、私の事務所の近くにfご実家があり、母上の介護のこともあり、退職後、毎日のように板橋に通う生活だ。選挙で知り合い、今では3日に一度はなにやかやでお顔を合わせる。母上の薬をとりに薬局にいるときもある。長女は薬局のお姉さんだから、よく知っているそうだ。次女も道を歩くと、Sさんを見かけるという。そのSさんが、昨夜事務所に来たとき、「窓を白い模造紙で塞いで、ポスターなどを貼り巡らしているのは、なんだか要塞かなんかみたいだよ、見える方がいいよ」という。「もっとも今選挙事務所でなくて仕事場だからそうしているんだろうけど、でも見える方が」、という。それで、今日、シール様のフィルムを貼って目の高さの一部分だけ曇ガラスにし、丁度昼間もらってきた田中正造の映画のポスターに貼りかえるなどの作業をした。今日、Sさんが田中正造のチケットを買いに再び来てくれることになっていた。きわめてすっきりしたひろびろとした窓を見やって、Sさん「早速やったんだね、この方がずっといい」と言ってくれる。川越にお出かけだったそうで、お菓子のお土産をくださる。娘と「すぐやってよかったね!」と顔を見合わせたのは言うまでもない。ベル企画の営業時間は朝9時−夜9時とだんだんに定まりつつある。
◆5月20日(日)
 川田集会、教育会館で。ホールのドアのところでS君と顔をあわせ、「くそお、板橋区民、ちゃんと投票してくれよなって思ってましたよ」と挨拶がわり。連れ立って会場内に入り、パンチのきいた「上を向いて歩こう、涙がこぼれてもいいじゃないか〜」の歌声を聴きながら、H氏のとなりに並んで座る。30人の登壇者による「私のマニュフェスト」に聴き入る。選挙時事務所に鉢植えを持ってきてくれたS氏、「娘さん、大きくなりましたねえ」と。この方が、陣中見舞いに来てくださったのは意外だったが、この集会でお会いできたことはさらに嬉しく。場内のあちこちの方と目で挨拶することしばし。帰り際A子さんとふたこと、三言。彼女と5・27のチラシをまく予定がある。「じゃあ、火曜日ね」と別れた後、候補者団会議の反省会に江原さんに襟首を掴まれたように引きづられていく。なあんてよっぽど苦痛な会議みたいでしょ。まあ、これは私の心の中の問題です。先輩たちは慰労してくださったのでした。ありがたいことです。
◆5月19日(土)
 9条ネットで改憲をブロックしましょう! なんとかネットとよく言いますが、想像してみてください、ふぁーっと空から網が降ってくるんじゃないんですよ。せめて、このサイトにいらした方が、ご自分の地域で窓口になっていただいて、つなげて、ひろげるっていう作業がないとだめ。9条ネット板橋は東京選挙区では川田龍平さんを応援していきます。ポスター貼りとか、いろんな作業もあります。今から、一緒に行動してくださる方はご連絡ください! 
 それにしても、国政では供託金も候補者ひとりにつき600万円だ!10人揃えないと確認団体として認められない。つまり、6000万円も必要なのです。すごい縛りですよ。だから選挙がふつうの感覚でとらえられなくなってしまう。ちなみに都議は60万円、区議は30万円でした。私のように、得票ができないと供託金没収点を気にしないといけないのです。話がそれました。それで、9条ネットでは賛同人を募っています。一口1000円です。詳しいことは上記9条ネットのサイトをご覧いただき、是非応援してください。9条ネット板橋はかわむらひさこ事務所内(南常盤台1−30−10)にあります。電話は、22日から 03−3554−0033、FAXは03−3554−0099です。FAXでもメールでも、なんでもお問い合わせください。明日、川田集会です。
◆5月18日(金)
沖縄辺野古情報をリアルタイムで 
◆5月17日(木)
 栄町で印刷屋を始めたころ、近所の方の「自分史」を何度か作ったことがあり、わが社も、この南常盤台のど真ん中に移転したわけで、この際やはり、何事か常に発信していたいのよ…と娘に相談する。それで、まあ、少し使い古されたキャッチコピーではあるけれど「あなたの本つくりませんか」ってなチラシを街中で配っていいかしらね、という相談となった。「お母さん、10年前からそんなこと言ってなかった?」と返事が返ってきた。「いいんじゃありませんか」という。「それからね、南をつけるかどうかは別として、『ときわだいジャーナル』ってのを出したいのよ」…「いいんじゃありません」と済ました顔だ。どうせ、自分には害はないと思っているんだろう。それで「お前が取材してくるのよ」と業務命令を出してやった。いいんだ、いいんだ、だめもとなんだから。

 「教育3法」が、なんとも簡単に採決された。民主だなんだにFAXをしたって…。
◆5月16日(水)
 選挙の反省会あり。私としては直後の反省会から3週間、少し冷静に冷厳に分析してみようというつもりで臨む。針の穴ほどでも前進面があればいいのだ。それは、私の考え方の基本。したがって、違うほじくり方をすれば大変不毛な、疲れる会議になることはわかっていて、まさにその通りだった。でもその責任は私にある。負けた候補者がこういうのもなんだが、どうしたらみんなに元気になってもらえるかしら…。全く責任が重い。
◆5月15日(火)
 おぞましい事件あり。高校生が母親を殺害。切断した頭部をバックに入れて警察に自首してきたという。明け方はそのバックを傍らにネットカフェでDVDを鑑賞していたという。精神を病んでいた、とはいえないようである。詳細はわからないが、錯乱とか、精神を病むとかというのは、思うより短期のものではないような気がする。生まれて間もない時からの環境ですっかり傷ついたまま、それを秘めて普通の生活をしている人がたくさんいるのかもしれない。何かのきっかけで精神の均衡を失うのかもしれない。
 もうひとつ。赤ちゃんポストに3歳ほどの男の子が預けられたこと。識者は「あってはならぬこと」と口を揃えていう。たしかに。しかし、もしかしたら、預けた親にとってはぎりぎりの選択だったかも知れぬ。生まれたばかりの赤ちゃんだろうが、すでに3歳になった子であろうが、救ってもらえるものならと思ったであろう。児童相談所も訪ねたかもしれぬ。手続きができなくて途方に暮れてだったかもしれない。
 「あってはならぬこと」が実際におきると、人は言葉をなくす。少なくとも2度。引き起こされた事実に際して。そしてその原因を知って。言葉もない、あきれて物もいえない、と。でも、どうぞ政治の力をそういう場面でもきちんと働かせてほしい。
◆5月14日(月)
 現行日本国憲法の遵守と『改憲手続き法』=『国民投票法』の廃止を求める、とした「宗教者9条の和」の皆さんの声明を紹介したい。                   

5月14日、私たち宗教者の「憲法第九条を輝かせたい」願いにもかかわらず、『改憲手続き法』=『国民投票法』が国会で成立してしまいました。18項目もの付帯決議をつけての成立は、いかにこの『法案』が欠陥だらけであったことかを、自ら証明しています。(中段、国会への要請など、活動の詳細が記されている−略)今後もさまざまな困難が予想されますが、私たちは、改めて憲法第九条を守り広めることこそ、宗教者の信仰の証(あかし)であるという自覚にたち、「憲法第九条を輝かせたい」願いのもと、本日を出発点として、宗派・教派を越え、諸宗教者をはじめ、あらゆる人々と心を合わせ、日本を『戦争のできる国』にさせないため、現行日本国憲法の遵守と公正・中立のルールから逸脱した『改憲手続き法』=『国民投票法』の廃止を求め、さらに努力して行くことをここに表明いたします。
                 「宗教者九条の和」東京都渋谷区神泉町8ー7 日本山妙法寺内
◆5月13日(日)
  9条ネット ときどきチェックしてください。9条ネット・東京の結成集会は昨日でしたが、実は板橋では私の選挙と合わせて始まっていました。板橋からの賛同人も大勢います。自給自足のシンガーZAKIさんも新しいリーフでは候補者として写真が載っています。またもう少しすると、新たな候補者が公表されるはず。楽しみになってきました。
 明日の国会では国民投票法が強行採決されるのはほぼ確実。と言って、今のいま、手も足も出ない。なんだかたまりません。このままでは、夏の参院選で「改憲を発議する議員」も選ばれることになるわけです。だからこそ、どんなにごまかしても護憲か改憲かが明らかな争点。現実には3分の2以上必要な改憲の発議のための自・民の連携、つまりは政界再編も進むでしょう。9条ネットの存在の意味はそこです。
 母の日。ひとかごの花に世の中で一番幸せな母であることを思い出させてもらえるのはありがたいこと。
◆5月12日(土)  
 夜、田中翁の7・7上映会実行委。チケットを扱ってくれるお店を私からは2軒、にとどまる。推薦の関係やポスターを貼らせてもらうための図書館まわりなど分担をきめる。NKH番組「その時歴史が動いた」のビデオを見る。憲法の制定から55年体制、そして60年安保で岸首相の憲法改悪への執念が絶たれ、池田内閣の「もはや戦後ではない」と表向きは高度経済成長へ突っ走ることに代えた「憲法改正は考えない」という言葉。60年安保改定阻止闘争は、憲法問題と深くつながってあのような一大闘争となった。津々浦々における陳情署名は2千万に及んだという。あの時、国会か三池かという状況もあった。そして今、国会周辺と沖縄という状況が創出されている。だんまりを決め込むな。沖縄辺野古情報をリアルタイムで
 実行委からの帰路、板橋第8小学校の前を通った。なんと校門の片方の門柱に「文部科学省『伝統』重点校」とプレートが貼られてある。ああ、まちがっている。こんなことをしていてはいけない。深夜、友人のメールに「危ないぞ!教育3法緊急学習会」の報告あり。このブログでお読みください
 昨夜は「9条ネット・東京」の会合もあり。先に入った予定を優先したが、候補者がどんどん増えている。
◆5月11日(金)
 昨夜ちょっとした会議があって、終わって古い事務所に残骸のようにある大きなホチキスや何かをかき集めて事務所に戻ると、従業員がまだ仕事をしている。細かい表組がピシリと決まって気をよくして続行していたようだ。たしかにうんざりするような手書きの表も、しっかり設定した表の枠さえできればあとは気持よく進む。
仕事が終われば母と娘。しかし、今日は昼日中なか「図書館へ行ってきてもいいか」という。うちにあった「戦争と人間」(五味川純平・三一書房)は5分冊までしかなく、終わりが気になってしかたがないらしい。「橋のない川」が3と5がどこ行った、とか信じられないことが我が家では多発する。昔、気まぐれにコミックを揃えたことがあった。手塚治の「不死鳥」とか「ブラック・ジャック」、白戸三平の「サスケ」、中本さんの「はだしのゲン」
などであったが、その時は「ガラスの仮面」という少女漫画を買い揃えたのだった。これを喜んだのはまだ幼かった娘らである。もちろん喜ばせたくて買った。でもあれほどとは思わなかった。そうだ、コミックについてはいろいろ構想があったのだった。すっかり忘れていた。でも、本当に文無しになって、(娘たちの言う)「おとな買い」もできなくなってしまったし、いわんや、新たな作家を探す気力も今は失せてしまっている。
◆5月10日(木)
 某商業組合のちょっとした資料のお仕事をはさんで、某裁判関連の通信をはさんで、今日も一日、入力と編集に追われた。社員と社長、その日その日で任務分担を変えながら、結局いつも二人三脚なのである。
 イギリス・ブレアの退陣で、世界の流れとは全く歩調を異にしている日本が浮き彫りになっているように思う。イギリスの世論調査では、ブレアのイラク戦争への協力姿勢にもっとも批判が集中している。大量破壊兵器の新調問題もある。労働党の動きも気になる。10年前に41万人の党員が18万人へと激減している。「労働党の再生はもはや不可能」として「労働党に変わる党を作らねば」という主張もある。しかし、注目したいのは、「世論」が確実に政権に影響を及ぼしていることだ。また政党に所属することに関する意識の違いも考えさせられるところだ。いずれかの党に入ることひとつとっても日本ではそういう精神的土壌がない。新しい党もせいぜい、古い党の中での勢力争いの結果出来上がっては、すぐもとの鞘におさまっている。
 ついでに言えば国会議員がいなければ政党として認知されないのもおかしな話である。
◆5月9日(水)
 今日は心臓のエコー検査の日だったので、鉄道運輸機構訴訟の傍聴には行かなかった。今回は、原告側から結審に向けた証拠書類提出と趣旨説明を述べ、結審の期日が決定される運びだった。不当選別差別を受けてから20年の節目なのである。「1047名の解雇撤回・国鉄闘争勝利」を勝ち取り、長期間の人権侵害の一日も早い回復を望んでやまない。裁判日程はこちらも次々と入っている。
  鉄建国賠訴訟判決 6月21日(木)地裁:710 13:10〜
  鉄建公団訴訟控訴審(進行協議の報告集会) 6月29日(金)東京しごとセンター地下講堂    18:30〜
  採用差別横浜人活訴訟 5月31日(木)横浜地裁民事7部係属 101号法廷 10:00〜 
  動労千葉鉄運訴訟 7月4日(水)地裁民事11部係属 710号法廷 11:00〜
  全動労鉄運訴訟(結審) 7月25日(水)地裁710号又は大法廷 14:00〜

しっかりと連携をとって、勝ち抜いてほしい。
◆5月8日(火)
 国会前第五波ヒューマンチェーン。改憲手続き法、少年法、共謀罪、米軍再編問題、参加者500人。発言者に、今日、4時に新幹線に飛び乗っていま着きました。大勢のみなさんがいて元気づけられた、私は地元で駅で月一回キャンドル集会を少ない人数の時もありますがやりつづけています。地方も都会も憲法を変えさせないという気持は同じです、という女性の方あり。これは早速仲間たちの間で、「早めの時間なら、だんなの夕飯待っててもらえるし…」なんてささやかれる。常盤台あたりでもっと日が伸びたころからやりましょうよ!、プラカードを持って立っているだけでもいいじゃない、とA子さんと約束する。この500人という発表に、いたく心動かされる。だって…、板橋の中で、同じ思いを抱いている人が、ここに集まったらやっぱりこの位なんだろうな、と実際に目にみえる人々の群れに思ったものですから。つまり、目に見えない、私に投票してくれた人々のことを思ったのです。辻元さんも発言しました。町会レベルで護憲の運動をしようって。そうそう、猿田弁護士がいつものように重い荷物をごろごろ引きながら帰る姿を見て、Aさんや、Kさんと顔を見合わせました。彼女も大忙しなんだ。…改めて敬意を表します。
◆5月7日(月)
 
地裁722号法廷にいたのはほんの15分程度。新しい裁判長も、弁護団のこちらもあちらも、なにか慌しくあれを忘れただの、まだ検討が済んでいないだのとばたばたしながら、こちらの新たな準備書面の要旨だけ早口で弁護士がしゃべって閉廷となる。その後1時間弱の報告集会で、支援者の一言ひとことには感ずるものあり。増田都子さんの分限免職撤回をもとめる裁判で。次回は6月25日とのこと。
 昨夜、編集者の三女に記事の感想を乞われる。偉そうなことは言えないが、彼女がどこで突き当たっているのかがわかるような気がした。上司からは、取材相手の「人間性」が出ていないと言われてのことらしい。彼女のインタビューを読むと、確かにこの子の世界になっている。相手が何を言おうと、この子の聞きたいことを引き出そうとしているように読める。何か、相手をやり込めようとしているのではと感じられる部分もある。体裁よくまとまってはいるのだが、上司の心配するのは、そこなのだろう。彼女の批判精神を私はこの上なく大事に思う。必要なのは、深く突っ込んで相手を理解するための勉強時間だろう。彼女は就職して1年。その最初からいきなり取材にいけ、記事をかけ、入稿しろ、だもんな。頑張って…、というしかない。
◆5月6日(日)
 昨日は気持のよい上天気の中、ご近所のバラを見せていただいた。頭上はるか高くから花弁が下に向かって開いている品種は、ちゃんとそうなることを考えて選んだとのこと、ほんとに見事。ピンクの濃淡、淡いクリームは外国産、それに和種の白、そしてモッコウバラ。実はこのお宅のバラは、毎年マークしていた。このお宅の前を通って仕事仲間の出版社の社長のお宅に通ったのだったから。昨日はまた、三女の中学時代からの友人が福島から泊りがけで遊びに来ていたのに、娘は風邪でダウン。彼女が本を読みながら見守ってくれていた。中学時代からよく似たふたりで、吹奏楽も一緒で大の仲良しだった。お母さんが私と同じ心臓の病気で、前回選挙の翌年にお亡くなりになってしまった。今はお父さんと福島に移られたが、たまに、このように会えるのが嬉しい。あくまでも控えめなやさしいお嬢さんなのである。彼女が雨の中帰っていくのと入れ替わりに、徳島に行っていた長女が帰宅、夜には茨城に行っている次女も帰ってこよう。四女はお天気も、祝祭平日も関係ない子だから、今日もあたふたいろいろなことに追われていることだろう。ふと、彼女たちに似合うのは何色のバラだろうと思ってみる。
◆5月5日(土)
 友人の中原純子さんは全国一般東京労組の執行委員です。4月10日に衆院厚生労働委員会で「パート労働法改正」に関する参考人質疑で彼女が意見陳述しました。
 以下、彼女の意見陳述を紹介します。パート労働法が制定されたのは1993年。同時に彼女の「フルタイムのパート労働者としての14年の歩みが始まりました。「身分はパート」とハローワークの求人票備考欄にあったことは忘れられないといいます。このたびの「改正」案上程は安倍政権の「再チャレンジ」政策の一つです。政府与党は国民の「格差社会」批判に対応するため、民主党は「格差是正国会」と命名した今国会の「対決」法案としての独自案をそれぞれが提案しているものの、内容は、パート全体の期待に反し「正社員との差別が禁止される」対象となるパートは一握りです。全国1200万人以上のパート労働者の気持が置き去りにされているではないか、政治の責任を問いたいというのが中原さんの主張の柱です。
 「多くの女性たちが、手取り10万そこそこで、2人、3人の子どもを育てるためにパートをかけもちする場合もあります。年間3000時間以上働いて年収300万、夜のファミリーレストランはかけもちで働く女性たちばかり、寝る時間を削って必死に働いているのに、翌年、収入がオーバーだと母子手当を削られたという泣くに泣けない話です。パートのみならず、派遣、契約、非常勤、偽装請負…、若者たちが携帯を命綱としてワンコールワーカーという日雇い労働者となって都会をさまよっています。こんな非正規労働を蔓延させているのは政治の責任ではないでしょうか。差別禁止の対象となるパートはほんの少ししかいない、パート労働者の中に分断を持ち込むような「パート労働法改正」はやめてください。人としての尊厳を傷つけながら働き続けるパートたちのかすかな期待を裏切り、政治に利用することはやめてください」
 彼女の意見陳述には、政治に関わるものが、国民の困窮化の実態を知らなさ過ぎること、そして非正規労働に現れる格差問題と中小企業の困難性の関連への確信、ナショナルセンターの違いを超えた労働組合の団結の力を広げ、働く現場から政治を変えたいという強い願いに溢れています。陳述の模様は以下のURL(衆院TV)で。
  http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm?ex=VL
◆5月4日(金)
 印刷機とコンピュータ関係を運んだら、もうへばりました。わかっていてもあまりに新しい方のスペースが足りないので、もううんざりしています。そこへ入力済みのデータを持ってきた4女が言うことには
「かあさん、心機一転なんでしょ。もうきれいさっぱり、ここからまた始まるんでしょ。ここの事務所をかあさんの思い通りのレイアウトをして、表にちゃんとバラの花を植えて、窓ガラスも一度ごたごた貼ってあるのを全部剥がして、かわいいカーテンもつけて、そうだ、いまレンタルボックスってあるのよ、このガラス面を生かして、内側を棚にして、誰それさんの本とか、ついでにかあさんの本とか、何か近所の人の手作り品とか飾って、売れたら売れたでいいし」なのだそうです。ふ〜ん…。ヘエエ…。「でも私の発想じゃ、結局そのボックスになにかのチラシとか入れときそうだねえ」というと「まあね」だそうです。でも、そうか、そうだ、一年前この事務所に決めたのはガラス一面の窓がまず得がたいと思ったんだっけ。自転車屋さんだったままのシャッターだって、ちゃんと塗りなおして、憲法9条を書いてもいいんだっけ。うんざりしてるどころじゃないんだ。元気が取り戻せた4女の助言でした。
◆5月3日(木)
 憲法集会。自給自足のシンガー・ZAKIさんのそばにしばらくいました。彼のスピーカーの前を通る参加者の列の、人々の表情を見ていました。というか、CDが売れますようにという気持もあり。今年は参加者も増えて6千人、デモは7千人だったよし。また乱ちゃんと会いましたら、「うん、ようやく一線(千)を越えて、6千になったなあ」とのこと。その7千のデモのしんがりをつとめましたので、実に長い時間立ち通しだったわけです。確実に若い層が増えています。女性の方が一人で、パン粘土で作った「9条ブローチ」を売り歩いていました。色とりどりでやさしい
雰囲気の逸品です。かんバッチとか、プレートもどき、いわゆるグッズはあまり好きではありませんでしたが、こういうのならいいな。でも、女の人の集まりがあって、みんなこういうのを着けていたらそれはそれでまた抵抗があるんですよね。
◆5月2日(水)
 ひたすら10年分の資料などの片付けに追われた一日でした。
◆5月1日(火)
 メーデー。小雨が落ちてくるなか、日比谷野音にいた。
不安定生活限界だ。フリーターら「生存メーデー」叫ぶ/格差社会に「使い捨てやめろ」フリーターらメーデー集会、などと新聞が書きたてたのは連合系メーデー。京都から参加した介護ヘルパーの男性(32)の「仕事はハードなのに給料は全然見合わない。生活できずに離職する人が増えており、国の無策を訴えたい」という発言や(朝日新聞)、集会に先立ち、日雇い労働の現場で派遣で働く男性が日給六千−七千円、月収十三万円程度にしかならず、家賃や食費を払うと手元にほとんど残らない生活を紹介。主催者側には労働基準法が無視され、遅刻して罰金を取られたケースなど、悪質な雇用をめぐる相談が絶えないという(東京新聞)記事を読んだ。全く同感である。霞門で車の上で話をしていたのは「9条ネット」の糸井さんだ。遠くから目礼をしたつもりが、糸井さんがお気づきになったのがそのまま声になり、私の方を向いて下さったのでスピーカーがとんでもない叫びをあげる。図書館側の入り口の都高教のいる公園まで一通り、行き逢う人に挨拶をしてから場内に入る。幟を持って立っている先に入った娘の横に中年の男性がいて楽しげに話している。ムム…とおもいきやF先生だった。なんとなくそのあたりに仲間たちが集まってくる。しのつく雨、アコ仲間の松野君、娘を労わってくれて合羽を貸してくれる。そういえば、本当に何年ぶりだろう、根本君、岩藤君とも会えたとは。
久しぶりといえば、相変わらずの駄洒落の連発で娘があっけにとられる場面も。雨が降ってきたので傘を出しながら、雨さえ降らねば傘も濡れないのに…、仕方ないよね、俺らフラレタリアだから。フルジョアジーっていうのもいるのよ、って。と言ったら乱鬼龍さんしか思い浮かばないでしょ。ともあれ最後はなんとか一塊になって土橋コースをデモ。三女の会社は銀座にある。呼ぶか、となって4人で食事をする。なかなかおつなものだ。これから中野に取材という三女、新大久保の楽器店に弓をとりに寄るという次女と別れて帰路に着く。明日、板橋のつどい実。事務所で。
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